油圧ショベル

幼稚園デビュー

Jet Alone

2歳児犬の散歩したがる


Evangelion Mark.44B

『シン・エヴァ』IMAXにて2回目
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021) 感想

子ども用歯ブラシがよい
取り掛かるまでが不安
ハリーのことを全然わかっていなかった
無駄のない線
簡単に振り返る

初歩的な間違い
The Mandalorian :Chapter 16 – Post Credit Scene

The Mandalorian :Chapter 16

The Mandalorian :Chapter 15

The Mandalorian :Chapter 14

書く日を決めるしかないのか
The Mandalorian :Chapter 13
脚本も監督もデイヴ・フィローニということで完全に彼のやりたいことを発揮した回。低い彩度の中で焼けた木々や寂れた家屋が並ぶ様子はもちろん黒澤映画風。アソーカの登場はもちろんだが、ジェダイだった彼女の登場によりこれまで知る由もなかった「子ども」の正体、バックグラウンドが判明するところも大きいと思う。アソーカにさえ会えればなんとかなるという一心でここまでやってきたものの、結局彼女は「子ども」を引き取るのを断るのだが、よくよく思えばもう彼女はとっくにジェダイをやめているので、実は「子ども」を育てる義理も資格もないのである。マンドーの言うところの「仲間のもとに返す」ことにならないのだ。そういうわけで再び新しい目的地を与えられてともに旅を続けるマンダロリアンとその小さな相棒であった。
The Mandalorian :Chapter 12

The Mandalorian :Chapter 11

帝王ザーグ




レックス

小学8年生付録のティラノサウルス
The Mandalorian :Chapter 10

The Mandalorian :Chapter 9

ディズニーストア のウッディとバズ



お誕生日ディズニー











「三体 II 黒暗森林」

ハッピーハッキングキーボード

クラシック・エディター
ちょっと手に負えない
このサイトはワードプレス で作っているのだが、ワードプレス というのは自由度が高い代わりに自分で対処しきれない不具合もかなり起こる気がする。最近になってテーマ変えて、ようやく納得いける外観が得られたものの、テーマ変更の過程で画像の設定が変わったのか(実際どうかはわからない。タイミングとしてそれ以外変えたところが思いつかない)少なくない記事で画像の埋め込みが無効となってしまった。今、ひとつひとつチェックして直したところ。画像が消えずにいる記事も、画像の表示サイズが変わっていたり、貼り付けている画像そのものと指定の表示サイズが合っておらず画質が下がったりしていたので、結局それらも貼り直すことになった。修正はできたがどうも気持ちが悪い。思いつくワードを検索しても同じトラブルの例はなかなか見つからない(言葉を少しずつ変えてもずっと同じサイトがトップに上がってくるのは全く頭に来る)。基本的には非常にスマートで安定しているので、まだしばらくは使いたいところだけれど(1年も経っていない)、多少の制限があってももう少しこちらのやることが単純で済むような形を選びたいとも思える。もちろん手打ちのサイトはもうやる気しないが。なにかいいサービスはないかなあ。細かいところを気にせず、ひたすらに絵のアップとブログ、ちょっとした遊びのページが作れればそれでいい。
グレートバーガー
少しずつ外食もするようにしているが、今年になってからまだ行っていなかったグレートバーガーに行った。グレートバーガーは、言葉で説明するのがすごく面倒なところにあるのだが、原宿の、神宮前の渋谷寄りの路地の中にある。あのあたりは入り組んでいてぼく自身とりあえず路地に入ってからなんとなく歩いて行ってたどり着くという感じなので、あまりひとに説明はできない。9年ほど前にオープンした際並んで食べて以来ファンである。ぼくが並んでまで食事をするということはありえないことなので、言うまでもなく付き合いで行ったのだが、それ以降まるで自力で見つけたかのように友人や家族、のちに妻となる女性と行ったりして、今に至る。一度場所を移動しているのだが、もとの場所から数軒先に移動したような具合。ぼくがこれほどひとつのお店に通い続けるというのはここ以外にはあまりない。
行ってみたら満席で、ひとりだったので少しだけ待って空いたカウンター席についた。思えばカウンター席は初めてだ。すぐ目の前が厨房になっているので、いつもは離れた席から眺めていたバーガー作りが間近で見られて感動さえ覚えた。鉄板の上に何枚もパテが並んでじゅうじゅういっている。カウンター天板の奥側半分も調理台の一部となっているうような形なので、すぐ目の前にどんどん皿が並んでいく。それら全て見ていて飽きない。バーガー以外にもサンドやステーキ、パンケーキといったメニューがあるが、ここに来るのはやはり特別なことなので、ついついバーガーを頼んでしまう。でも、いつかサンドやステーキ、パンケーキも食べてみたい。どれを食べてもグレートなこと間違いなし。
いつもと変わらなかった
元々夏だからといって遊ぶことも少ないので結局普段と大して変わらないまま8月が終わりそうだ。あれだけいつもとは違う夏になるとラジオがしきりに言っていたのに、悲しくなるほどいつも通りである。いつまで経っても自分が感じている疎外感はこういうところから来ているのかなどと思ったりするが、別に今更ひとと同じ趣味や習慣がないことに不安を覚えることはあまりない。
できるだけ落書きをしようと思い、なんとなくでもごちゃごちゃ描く習慣が戻ってきたが、そうすることで自分の描きたいものや描いたほうがいいものが見えてきたような気がする。映画などのファンアートはもちろん楽しいが、やはり自分で考えたものがそれなりにかわいく出来上がると気分がいい。学生の頃からどこかひねったものを描かなければと思い込んでいたところがあるが、王道や定番、シンプルでわかりやすいものを描くほうが自分に合っているかもしれないとも思えてきた。自分が平凡に感じるものでも、描いてみるとひとには独特に見えることもあるらしいし(このパターンが大変多い)。あまり無理に奇をてらったり難しく考える必要はないのかもしれない。しかし、普通に書いたり描いたりしたものでもすぐに独特だと言われるのは、それはそれで寂しくもある。
外気
しばらくぶりに徹夜をする。もう絶対に根を詰めたり煮詰まったりさせないよういくら心がけたところで、それは心がけでしかなく、実際にはどうしても悩んでしまい、おそらく誰も求めていないであろう細部にこだわって朝になってしまうのだ。このところ太陽が昇ってしまうと大変な暑さなので、ここで一度犬の散歩に行ってしまおうと思い、お腹を上に見せて寝息を立てている犬を叩き起こす。外へ出るとまだ涼しい。ふとマスクを外してみる。ダース・ヴェイダーではないので、別にマスクを外した途端に死ぬわけではない。なるべく着け、平気そうなら外すという判断を各自ができればそれでいい話だろうと思う。それでも、外出時は必ず着けるようにしていたので(元来ぼくは出かけたままの状態を切り替えることが苦手で、途中で暑かったら上着を脱ぐとか、寒くなったら着るとかいうのができないから、マスクも器用に扱えないだろう)、外にいながら鼻から口を覆っていないというのは変な感じで、ちょっといけないことをしている気にさえなる。たかだか数ヶ月でこんな感覚になろうとは、数年続いたら一体どうなるだろう。
夏の早朝特有の湿った草木のような匂いがした。外の空気とはずいぶんいろいろな匂いが混ざっているなと改めて思う。なんだか強烈な感じさえして、自分はずっと室内やマスクを通した薄い空気で生きていたのではないかと不安になる。
まだ人も車も来ないので、道にたくさんのムクドリがいる。前にも書いたようにこのあたりはとにかくムクドリが多い。カラスやスズメなどより頻繁に見かける。そして近寄ってもなかなか逃げない。大きくはないとは言え近づいても逃げない鳥というのは少し怖い。
いつも散歩しない時間帯を歩くと、普段は見たこともないような大きな犬がいたりする。公園(と言っても田舎の同級生の家の庭ほどもない広さだが)ではおばさんがひとり太極拳のようなジェスチャーをやっている。太陽はまだ低いところをオレンジ色ににぶく光っているが、あれがあと数時間もすれば殺人的な光線を放つようになる。そうなる前に運動や犬の散歩を済ませようというひとがわりといて、狭い道を行ったり来たりしている。ぼくは目の奥がキリキリした。
ぐるっと歩いてきて気分転換になっただろう、そうあって欲しいと願っていたが、帰ってきて犬の足を洗って、ソーダストリームで作った炭酸水を飲んでから再び机に向かうと、大して頭はすっきりしておらず、出かける前と同じ箇所を引き続き描いては消し描いては消しするのだった。
考えさせられる
映画の感想においてだいぶ言葉を選ぶようになってしまったが、選ぼうとして考えれば考えるほど沼にひきずりこまれてしまうので、逆に使うことを自分に禁じている言葉を設定している。そのひとつに「考えさせられる」というものがある。
これはぼく自身のスタンスであって、別にこの言葉を用いることや用いるひとをどうこう言うつもりはない。場合によってはこの言葉が最適であることもあるだろう。あくまでぼくとしては、この言葉に頼りたくないと思っている。
大抵この言葉は、なにか強いメッセージが込められた作品に対し使われると思う。この言葉を用いることで、自分はその作品が訴えるところが理解でき、それについて考えを巡らせている、巡らすことができる人間であると表明することができる。そうしてその一言だけで作品の深さみたいなものを表せてしまい(表せていないのだが)、具体的になにをどう考えたのかは言わなくとも許されてしまうところがある。そこが危うく、ぼくの気に入らないところでもある。もっとも、具体的に考えたことが言えるのなら、わざわざ考えさせられたというようなことは言う必要がない。もちろん字数に限りがあり、それを思う存分書けないこともある。そういうときにこの手の言葉は非常に便利であり、つい使いたくなるのもわかる。ああ、ここで「考えさせられる」を素直に使えればこれで片付くのになあと思うことも少なくない。しかし、限りある字数の中でどうにかこうにか自分の言葉、表現を工夫したいと欲を出したり背伸びしたりしてしまうのがぼくの性分なのである。
はっきり言えば、「考えさせられる」で締めてしまうと、なんだか考えてなさそうな印象があるんだよね。なにより「させられる」というのがひっかかる。まだ「考えたくなる」「考えずにはおれない」というほうが主体的でいい。「させられる」などと言うから考えてなさそうに見えないのかもしれない。受動的なニュアンスが強く、作品のメッセージをどこかで押し付けられたように感じているのではないかという印象さえある。つまりそれは消極的な態度と言えるのではないか。「考えさせられる」のであって自分から考えようとはしていない。まあ、こんな一言からそこまで拡大するのは意地が悪いとも思うし、依然としてほかのひとが使うのは一向に構わないが、自分がこの言葉に違和感を持ち避けたいと思っているその理由を考えていくと、こんなところである。
で、わざわざここにこう書くということは、今後より一層この言葉を使えなくするためだったりする。ほかにもまだ自分から禁じている言葉はあるのだが、全部明かすと非常にやりづらくなるので教えてやらない。いずれもその一言を使うとそれだけで片付き、それっぽく聞こえる便利な言葉ばかりだ。しかし、便利な言葉に頼りすぎると、やがては表情に乏しい文章になるだろうと思う。知人のひとりはそれをジョージ・オーウェルの小説に出てくる「ニュースピーク」になぞらえていた。一言で反対のニュアンスを併せ持ち、いろいろな場面で使うことのできる魔法のような言葉。曖昧で具体性に欠くので角が立ちづらい言葉。だがそれを多用しすぎれば、語彙が減ってしまうことだろう。
Joker(2019)
去年試写で観たきりだった『ジョーカー』がNetflixに来ていたので見返す。この映画を巡ってはいろいろな意見があると思うけれど、ひとまずぼくとしては無数にあるバットマン神話の数々の中の、いちパターンという程度であることは、初見時から変わらない。80年代の生々しい不景気なゴッサム・シティをはじめ絵的にかっこおもしろいところも多く、なによりのちにジョーカーへと変貌を遂げる主人公アーサーに扮するガリガリのホアキン・フェニックスの所作もいちいち見応えがある。
今までは大富豪とその協力者である警察の視点からしか描かれなかったゴッサムそのものを、最下層の生活から描いたのは新鮮で、その象徴としてこれまでのバットマン神話ではブルース・ウェインにとって絶対的な存在だった「偉大な父」トーマス・ウェインを、低い視点から見上げて別の姿に描き出しているのがおもしろかった。主人公アーサーはつねに混み合った雑踏をさまようが、これもつねに高いビルの上から街を見下ろしているバットマンの定番ポーズとはわかりやすく対照的だ。
またアーサーが、実はトーマス・ウェインと使用人との間に生まれたのではないかという疑惑(限りなくその可能性が高いことが示唆されるが結局本当かどうかははっきり明かされない)により、アーサーとブルース、ジョーカーとバットマンを「兄弟」として対比するというような試みもなされている。最終的にアーサーが悪として覚醒し、カリスマ的なピエロに感化された暴徒のひとりが、息子を連れて暴動の現場から逃れようとするウェイン夫妻に銃口を向けることになるが、これは間接的にジョーカーがバットマンを生んだというような構図になる。こういう、全く見慣れないルックやフォーマットによって、お馴染みの神話を構成し直しているようなところがおもしろい。
ただ、そのためにあの犯罪界の道化王子たるジョーカーの誕生秘話として少しスケールが小さく感じられもするのだが(ましてやヒース・レジャー版の伝説的なバージョンと比べたら尚更だが、その比較はおそらく意味がないし、両者の違いこそがおもしろいところである)、そこはDCコミックのキャラクターの設定をところどころ借りながら、アーサー・フレックというひとりの男について描いた映画と受け取るのが妥当だろう。もしくは、いつものジョーカーがいつもの調子で語った嘘か本当かわからない身の上話のいちパターンだと思う程度がちょうどいいと思う(ラストシーンでカウンセラーと話しているところからその想像ができる)。タイトルに「The」がつかないのはそのあたりの余地のためでもあるのではないだろうか。ジョーカーそのものというよりは、ジョーカーのような男、ジョーカーという概念を指しているのだろうと思うことにしている。
ムクドリ
犬の散歩をしていると道を挟んだ木と木の間に見事な蜘蛛の巣が張られているのを見かけて、家主が一生懸命糸を張ってるのをぼやっと見ていたら、ムクドリが飛んできてそのクモをぱくりと食べてしまった。一瞬の出来事で驚いたが、そりゃそういうこともあるだろうなと思い、なんだか久しぶりにああいうものを見たから少し興奮した。あんな空中にあれほど大きな巣を張っていればさぞいろいろな虫がかかったろうに、鳥からしたらとてもわかりやすく狙いやすい位置だったのだろう。
それとは別に、セミが鳴いている木のそばにムクドリがおりてくるところにもでくわした。鳥がやってくると、それまでジリジリ鳴いていたセミがぱたっと鳴くのをやめてしまい、本当によく出来ていると思った。ムクドリはじっと木の上の、セミがいるあたりを伺っていたが、その少し先まで歩いていくと、今度は二羽のムクドリが取り合うようにしてセミをついばんでいた。クモの巣もセミの声もやつらが生きていくのに必要なものだけれど、裏目に出やすいらしい。
EE-3

まだそれほど事態が深刻になっていない頃、ディズニーランドに行った友達にパーク限定のボバ・フェットのブラスター(EE-3カービン・ライフル)を買っておいてもらったのを、このたびようやく受け取った。ディズニーランドはあのあと間も無く休園となったので、なかなかのタイミングだった。このブラスター・ライフルはボバ・フェットごっこにはもってこいのグッズでずっと欲しかったのだが、いかんせんディズニーランドに行く機会が少なかったので、ようやく手に入ってうれしい。このほかにもハン・ソロのピストルやストームトルーパー(もちろん帝国軍の)のライフルもあり、近年のSWグッズがビミョーな雰囲気なのに対して、ご覧のように昔のようなパッケージがグッド(「TRY IT!」)。ひとによってはこれを黒く塗装してリアルに仕上げるのだが、わざわざ本物の銃火器からかけ離れた色合いを施しているのだし、このボバ・フェット風の配色がかわいいのでこのままにしておく。

やはりこれを持つだけでも格好がつく(?)。戦っていないときのボバはライフルを構えるというよりは、やや銃身を抱くようにしてたたずんでいるのだが、あのポーズも好きなところ。長年の仕事に全体がくたびれたような様子(決して弱々しいという意味ではなく)がかっこいい。ヘルメットとブラスターだけで終わらせてもいいのだが、こうなると両腕にはめるガントレットなども作りたくなってきた。もとより全身を作るつもりは全然なかったが、こんな感じでやがて全部を揃えてしまうのだろうか。いや、胸部プレートとかジャンプスーツは面倒くさい。
ラジオを聴くための機械

小さなラジオ兼Bluetoothスピーカー。台湾のSANGEANというメーカーのWR-301というもの。ラジオとしてのかわいさに惹かれて買ったが、長らくスピーカーというものを持っていなかったので、パソコンで流れる音をこちらにまわすもよし、iPadで観る映画の音をここから流すこともできるというのが、少しうれしい。端末から直に発せられる音よりも柔らかい印象なのがいいし、音量を微調整できるので夜中も最低限の大きさにすればイヤホンを使わなくても済む(当たり前のことだが音を流す向きが変えられるのも大きい)。ラジオなんて今時はradikoなどを使った方が感度を気にせず常に綺麗な音で聴けるかもしれないが、どうしても音が鋭く感じられたり、インターネットとワンセットな感覚がせわしない気がしていたので、ラジオを聴くための機械としてのラジオがずっと欲しかったのだ。懐古的と言われればそれまでだが、シンプルに単体としてのラジオはどこかのんびりした気分で聴ける気がする。聴き逃したものをあとで再生できるというような機能もないが、かえってそれが刹那的でよい。聴き逃したならもうそれっきりでいいような気もするし(元々そうだった)、今なんて言ったのだろう、というようなものもあっさり聴き流してしまえる。それだけで気楽に思えるのである。ラジオを聴いたのは久しぶりだけれど、自分からは興味関心を持たない音楽や話題が勝手に流れ込んでくる感じはかえって新鮮である。自分から探そうとすればなんでも見つかる時代だが、興味がないものは探しようがない。だからこそテレビの映画放映も、ラジオの音楽も、知らないものと出会うためには必要だろうと思う。話題や会話も、しばらく聴いていると語彙のあるひととないひとの差が際立ってきておもしろいが、BGMのように聴き流せる他愛のないおしゃべりもあったほうがいいというのがわかってくる。なんとなくひとがしゃべっているというだけで気が紛れるし、その話題はそれほど深く考えるほどの内容でないほうが楽なこともある。これはFMしか聴けないのだが、もしAMが聴きたいことがあればradikoをBluetoothで流せばいいや。木のフレームがとにかくかわいい。
Bottle Cap Collection
自分が欲しいと思うボトルキャップを、大貫卓也氏による「GET!!STAR WARS」キャンペーンのポスター風に。大貫さんは「ペプシマン」も手掛けているけれど、いかにも本国アメリカ発のキャラクターだとばかり思っていたペプシマンが、実は日本で生まれた独自のキャラクターだというのは驚き(アメリカでは知名度が低いらしい)。SWのキャンペーンにしてもとても舶来な感じで、アメトイ的なインパクトがSWとぴったり合っていたと思う。「スター・ウォーズを集めろ。」というコピーもそれだけでとてつもない強さを持っていただけでなく、アメトイではお馴染みの文句「COLLECT THEM ALL!」(大抵の場合パッケージの裏側にラインナップとともに書かれている言葉だ)を思わせ、一個だけでは終わらない世界観の広がりを感じられてわくわくする。
ボトルキャップは子どもの頃の夏の記憶と深く結びついているだけでなく、玩具をコレクションするという趣味の起源と言えると思う。はっきり言って、自分にとって新しいSWに足りなかった最大の要因はこのペプシとのタイアップだろう。プリクエル三部作は毎回このボトルキャップのキャンペーンをやっていたせいもあり、どこかでやはりSWと言えばペプシであり、紺色で、夏で、ちょっと大人びた渋いおもちゃのイメージだった。懐古は危うさをはらむが、自分がなにと出会って形成されてきたかは忘れたくない。個人的にはサーフボードを持ったワニが気に入っている。
地獄から抜ける
大好きで尊敬している人たちが貶められてしまうお馴染みのツイッター地獄には、とても悲しくなる。ちょっとしたことも誤解されたまま広められてしまい、文脈を理解しない通りすがりによってさらにややこしくなる。今更言うことでもないが、やはりあれは独白集であってコミュニケーションに向いているものではないのだろう。確かに連続投稿で書き続けることはできるかもしれないが、ひとつひとつはどうしたってケチくさい140字で、それは単体で広められて前後の文脈がわからない通りすがりの目に留まる恐れがある。そう思うとあそこで起こる揉め事はほとんど事故のようなものとも言えるのかもしれないが、それはどんどん連鎖して収拾がつかなくなる。だから地獄なのだ。昔で言うフォーラムなら熱心な管理者がいて明確なルールがあったが、SNSはそれとは少し違う。フォーラムがある程度閉ざされた建物の中の、文字通り会議室であるなら、ツイッターとはあらゆる人が出歩いている往来のようなもので、そのひとりひとりの思考の断片が流れ続けて、他のと緩衝一切なしでぶつかり合っている。ぼくのようなのはおっかなくて仕方がない。今のところ、どれだけ寝言めいたことを書いたとしてもぼく自身は大して嫌な目には合っていない。しかし、知っているひとが突如渦中に置かれてしまうのにはもはや耐えられそうにない。あんなもので消耗するのもいい加減うんざりなので、あまり見ないようにしたい。自分自身の使い方そのものは、だいたい今くらいでいいだろう。もはや絵とアップと告知、それから毒にも薬にもならない雑な思いつきしか書いていない。最後のもぐっと減らしていきたい。なぜなら140字でものを考えたくないから。ブログはこうして思っていることを、ひと通り気が済むところまで書けるし、いい意味で拡散力がないのもいい。誰かが読む前提だが、いたずらに人目には触れない、そんな媒体がやはり自分には向いている。ぼくにとってブログは地獄に垂れてきた蜘蛛の糸だ。
ブラシが硬かった
多忙であることを強調したくはないのだが、この春先から連休をまたいで5月中までずっと息つく暇もないような状況だった(平日がだいたい全部締め切りというのが数週間続いていたわけだけれど、それは複数の締め切りが同じ日に重なるのを避けて分散させた結果でもあった。しかし、結局それでも同じ日に何件か重なることになり、全部が全部同じ点数かつ密度、というわけではないにせよ(ラフの期限や完成データの納品もごっちゃになっている)大変だった。別にまだ終わったわけではないが、ようやく日程が単純になりはじめたので、こうして書いている。ちょっとでも放っておくとすっかり書かなくなってしまうので、無理にでも書いておく必要がある。
どうも前より描くのが遅くなっているような気がして、それがだんだん気分にも影響して、特に点数の多い仕事が重なっていることもあって実際よりも一層ハードルを高く感じるようになっていたのだが、原因は至って単純だった。主に使っているフォトショップのブラシの筆圧設定が非常に硬め(筆圧をある程度かけないと意図した太さにならない)に設定されていたこと、それからペンタブのペン先を弾力のあるもの(スプリングの入っているやつ)にしていたこと、この2点である。デジタルアナログ両方の要素によってしんどくなっていたらしい。とにかく描画に時間がかかり、なにより手が辛い。もちろん仕事が多いということで気が重くなっているのもあると思うが、とにかく作業面ではこれが負担だったようで、思い切って筆圧設定を軽くして、ペン先も普通のものに変えたみたら、すらすらつるつる描けるようになった。元はと言えばこのすらすらつるつるが軽すぎて嫌で、紙にペンで描くのと同じような抵抗が生じるようにして、できるだけアナログな雰囲気を出そうと考えていたのだが、こんなに負担がかかり、そしてそれほど雰囲気に違いが出ているようにも見えないのであれば、もうそういうこだわりはやめてしまっていいかもしれない。デジタルで描いているのにアナログに見えるように、なんていうのがそもそも小賢しく虫のいい話だったのだろう。デジタルで作っているならデジタルに見えていいのではないか。確かにアナログの雰囲気がありながらデジタルの手軽さで自由に編集ができるというのは便利だけれど、まず全然手軽にできていないし、アナログの雰囲気を再現することがそこまで重要だろうかとも思えてくる。せっかくデジタルで描いているのだから、もっと新しいものを目指してもいいのではないか。
確かにデジタル環境でアナログのうような温かみと味わいのあるものを描くひとはいるが、そういったひとの作品は単なるアナログの再現にとどまっておらず、両方のよさを兼ね備えた全く別の新しいものとしての魅力を持っていると思う。なにで描いたのか一見わからない不思議さというようなものがある。対してぼくはと言えば、実際にインクとペンで描いたように見せたい、ということを意識しすぎていた。そして、その再現にこだわることが難しいのは言うまでもない。せっかく自由度の高いツールを持っているのだから、もう少し広く考えてみてもいいはずだ。タッチや絵柄というものは、必要に応じて、必要に迫られて形になっていくものなので、こうして仕事を進めるのに最適なやり方を模索していくことで、自然と自分のスタイルが出来上がっていくのかもしれない。
スター・ウォーズにひと区切り
一度書いてアップしたのだが長ったらしい上にあまりにもまとまりがないので書き直す。まず一番に言いたいのはSWに少しくたびれてしまったということ。それから完全に飽きたわけではないにせよ、なんとなくぽっかりと穴が空いてしまったような気がして、他にかろうじて興味のあるものをかき集めてもその穴が埋められずに少しいやだいぶ落ち込んでいるということ。10代からずっとSWに夢中だったから、ここへ来てほとんど初めて気持ちが冷めて(今までも波はあったかもしれないがここまでテンションが下がっているのは初めてだろうと思う)どうしても元気が出ない。普段はSWの絵を描いたりすればある程度気持ちは持ち直すのだが、やる気も起きず、やってもあまり楽しくない。とりあえず今はどうもだめらしい。また盛り返すこともあるだろうけれど、少し距離を取るのも悪くないかもしれない。ほかのものを探究する良い機会だと思って。
EP9に思うところが多いのも確かなのだが、終わり良ければ全てよしの真逆とでも言うような具合で、好きだったEP8とEP7への熱も冷めていってしまい、シークエル三部作とはなんだったのだろうという気持ちになってしまった。5年間楽しんできたこと自体は変わらないし、過ごした時間や感じたことに嘘はないと思うが、これ以上はもう無理して好意的に受け取ろうとする必要もないかなあと感じるようになった。今後もあるであろう新作についても、観ないなんてことはないだろうけれど(「マンダロリアン 」シーズン2だって観るつもりだ)、これまでのように積極的に追いかけることはないかもしれない。そして必ずしもそうしなくてもいいのだと思い至ったとき、なんだか気持ちが楽になった。やはり無理をしていたのかもしれない。大好きなSWを追おうという気持ちはいつしか義務感になり、いかに熱心なファンとして振舞うかばかりが目的にすり変わっていたのかもしれない。
前線とは関係なく自分の好きな作品、お気に入りのキャラクターを大切にできればそれでいいと思う。設定の網羅だとか、膨大なコレクションなどというものは自分には全然向いていなかったし、ほかのひとが楽しめばいい。詳しくなくていいと気づいたとき、かえって自分としては視界が開けたような気さえする。ここまでテンションが下がったのも初めてだが、こういう距離感も初めてのことだ。もしかすると、今後の作品はずっと気楽な姿勢で観ることができるのかもしれない(公開日に必ず観るというのにも疲れていた)。
好きなことには変わらないので、時折絵に描く気にもなるだろうし、いいものがあればおもちゃも欲しくなると思うが、今はそんな感じである。こんなことを書いて、わりとすぐにテンションが戻る可能性もあるが、こういう気分はかなり珍しいと思うので書き留めておく。ほかのものに興味関心を持つのもいいが、そろそろぼくは自分の創作に本腰を入れる頃なのかもしれない。自分の作る世界にSWと同じくらい夢中になれれば、そんなに楽しいことはないだろう。そういうわけでSWとの関係を次の段階へ進めたいと思う。とりあえずは自然な気分でいたい。
いざというとき
先週末に妻が盲腸で救急搬送されて緊急オペ、入院となり、昨日退院となった。人生で初めて救急車を呼んだわけだが、苦しむ妻を前にとっさに判断できたわけでは全然ない。それどころかなんだか怖くて躊躇してしまった。このことは一生悔やむと思う。救急車があっという間にやってきて、すんなり病院も決まってお医者も見つかり、夜のうちに手術も済んで大事には至らなかったとしても、やっぱり自分を情けなく思う。覚えておかなければいけない。とは言え、一度やってみるとどういうふうにことが運ぶのかなんとなくわかったので、次回は(いや次回なんかないことを願うが)なにかあってもすぐに対応したい。でもなにが起こるかわからないのが不安である。いざ、というときに自分はなにができるのかと考えてみると、とても自分が頼りなく思える。もし心臓マッサージなんてしなければならないとき、できるのだろうか?自動車教習所で習って以来このことは結構怖い。今考えてもしょうがないことだけれど。しかしそのときもまた考えている余裕はないのだろう。考えるばかりでなにも行動できないのをどうにかしたく、また考えてしまう。
着替えを持って行ったり、退院を迎えに行ったりで実に3ヶ月ぶりに電車に乗った。電車の中の広告はなんとなく少ないような印象。座席はひとりぶん空けてかけることになったらしい。高校は電車通学だったから、電車にこれだけ長い期間乗っていないというのは、中学以来ではないか。そう考えてなんだか妙な気分だが、別に久しぶりに乗ったからといって感慨はなかった。犬の散歩で毎日外に出ているので、青空は目にしているしだんだん強くなる日差しも浴びているのだが、高架上を走る電車からの景色はまた一段と明るくて、無数の瓦屋根がキラキラ反射しているのが、なぜか強烈な印象。人間がどんな暮らしをしていても空にはなんの関係もない。ただただピーカンだった。
10年前の基礎
あまりの日々の慌ただしさで忘れそうになっていたが、そういえばこの4月で専門学校に入ってからちょうど10年だった。実家を離れて10年ということになる。早くも記憶が薄れ始めているのだが(不思議と高校時代のほうが鮮明に浮き上がってきたりする)、とにかく天気が悪くて寒い日の多い4月だった気がする。故郷を離れて心細い、などという眠いことは一切思わなかったが、それでもとにかく寒かった。どんよりした天気と、接着剤やら定着液やら、塗料の臭いといったものが学校の最初のイメージである。
前期の授業はとにかく基礎演習の詰め込みで(2年制だったので余計に駆け足である)それまでの学校の宿題とは次元の違う作業量と時間との勝負だったけれど、それでも基本的には描いたり作ったりすることなので、その大変さが楽しくもあった。技術的には未熟極まりなかったが、それまでの人生これだけはなんとか人並みより少しは打ち込める、という分野なので、やめたくなるほど辛くはない。クラスで絵がうまい子、というのが大勢国中(?)から集まっているというだけあってどうしてもショックを受けることも少なくなかったが、だからやる気にもなるというものだ。しばらくして自分の描きたいものがだんだん見えてくると、あまりそのあたりは気にならなくなる。こうして思い返すと、課題量が多かった前期は非常に濃密で、余計な心配をしている暇もなかったし、都会に出て初めて見聞きするものの多さ、知り合うひとの数もあって、楽しかったと思う。要するに調子に乗っていた。
学校に通っている頃よりも、実際に仕事を始めてからのほうが覚えることも、技術的に身に付くことも多いのだが(嫌でも身に付く)、学校の基礎的な準備がなければそれもすぐには成り立たなかったことだろう。正直言ってそれほどレベルの高いところではなかったし、感動を覚えるのは最初の方だけで、だんだん退屈するようになったというのが本当のところである。たった2年しかないモラトリアムの中で、いかにその後放り出される世界でやっていくかということばかり考えて焦っていたせいもあって、後半の方はもう落ち着きや余裕がなくなっていた。あそこで少し落ち着いて、前のめりになりすぎず、描くときは描いて遊ぶときは遊ぶ、みたいな余裕が持てればもう少しは楽しい時間が過ごせたかもしれないが、それも今だから言えることであって、どこかに勤める能力もなければこれといって財力やバックボーンもあるわけではない、ただ描くことくらいはギリギリなんとかできる、というような後のない(とそのときは思っている)状況では焦るのも無理はないだろう。そういうわけでだんだん窮屈さを感じるようになった学校だが、通っていなければいなかったでわからなかったこと、見えてこなかったものも多くあったと思う。いずれにせよ基礎的なものは大切だ。
学校とは技術の準備をするところであって、決して完成させるようなところではないのだろう。ぼくがいけなかったのは、学校にいる間に完成に近づこうと焦ったところかな。できるわけないのにね。10年経ってもなにも完成していない。少しお金になるようになった程度だ。学校にいる間にもう少し落ち着いて、できる範囲でものを描く、というのをやっておけばなあと思うこともあるのだが、それもまた今だから思いつくことである。無駄遣いした時間なんてものはないと信じたいところだ。
家にいるのは苦ではないが
元来外に出て活動するタイプではないし、夜な夜な友達と集まってどうのこうのという娯楽とも無縁な生活なので、まあ別にそこまで苦痛ということもないのだが(ましてや家の中でやりたいことがあまりにも多い。そして今は仕事がいっぱいいっぱいなのでどちらにせよどこにも出る余裕などない)、それにしても気兼ねがない状態で閉じこもるのとなんらかの圧迫を受けながら閉じこもるのとでは全然心持ちが違うわけで、つまりはだんだん息苦しくなってきた。別に犬の散歩や買い出しには出ているし、完全な制限を受けているわけではないことはわかっているが、これでもやっぱり人間なので、いろいろくたびれてくる。どこか行きたい場所というものが全然ないという点が、ぼくの場合は救いだろうか。外に出て打ち込む趣味が生きがいで、ここに通わないと調子が狂う、楽しみがなくなる、というような人々の辛さはぼくなどに想像できるものではないだろう。自分に置き換えれば、本など読んでいないで外で遊べぇ!と言われているようなものだ。辛い。
日毎に思うようになったのは、こういう状況下では他人の行動についてあまり意見を発さないほうがいいということだ。少し前にはぼくも皆おとなしくしてくれないかなあと思っていたものだが、正直今もそこは変わらないのだが、それでもやっぱり上に書いたようにひとそれぞれ生活様式と判断基準が異なり、様々な条件下を生きるひとがいる中で、それらを牽制するような言動は、少なくともぼく程度の人間は控えるべきなのだろうと思い直す。思慮深いとは言えない行動は確かにあるけれど、だからといってビジランテ的な態度が精鋭化されるのは、それはそれでよくない。現在皆でやっているこの取り組みの目的は他人を牽制することでも、正しさを振りかざすためでもない。
というように冷静であろうとするのだが、まあはっきり言ってことあるごとに苛立つような日々である。なにかが悪いというよりは状況全てに嫌気が差してくる具合で、もとより世のテンションについていけない性分なので余計に疲れる。こういうときに癒しになるはずの『スター・ウォーズ』も、なんだか興醒めなことばかりで追いかける気が失せている。「クローン・ウォーズ」ももういいかな?というような気分。さあ、どうなるのかなあ。
塗り絵企画「The Quarantine Coloring Book」に参加しています
マイ・ケミカル・ロマンスのボーカルにして「アンブレラ・アカデミー」の原作者ジェラルド・ウェイと、その友人ユース・コードのサラ・テイラーによる、自宅(屋内)で過ごす人々のための塗り絵企画「The Quarantine Coloring Book」(「隔離塗り絵」)にイラストを提供しました。
企画開始から1日1枚、参加アーティストの線画のフルサイズデータが無料で公開されており、7ページ目となる4月15日にぼくの線画も追加されました。
線画のデータはウェブサイトから取得できます。ぜひ印刷して塗ってみてください。
The Quarantine Coloring Book
描き下ろしではありませんが、線画のみにした場合に比較的塗り絵に向いてそうなものを選びました。すでにインスタグラムでは塗ってくれた方がたくさんいらっしゃいますが、2枚として同じ配色はなく、自分が思ってもみなかったような色使いがされていて驚くとともに、感動を覚えます。塗るだけでなく、新たに模様な図案を描き込んでくれるひともいて、こちらも楽しませてもらっております。
不安な日々が続きますが、少しでも気を紛らすのにお役立ていただければと思います。もちろん日本の方もよかったら塗ってみてください。ついでにツイッターかインスタグラムで見せてくれたらうれしいです。素敵な企画を考えてくれたジェラルドとサラ、どうもありがとう。
日常
かれこれ一ヶ月以上都心に出ていないことになる。仕事をするにあたり打ち合わせはひとまず遠慮させてもらい、映画の試写にも足を運んでいない。一ヶ月くらい前なら非常に慎重であるという印象を持たれたかもしれないが(実際に打ち合わせなどをお断りした場合、少なからず先方との温度差を感じることはあった)、今では当たり前の姿勢になっているのではないかと思う。というかそう願うばかりである。自分ひとりが病気になるのはまだいいが(それも嫌だけど)、このような場合はそれだけでは済まない。ましてや家に奥さんと、それからこの世に生まれてやっと2年経とうとしている子どもがいることを思えば、ある程度の交際や移動の自由は自分で制限しなければならないと思っている。
祖母にお別れの挨拶をするための帰省を断念したことは昨日書いたけれど、結局それはぼくの個人的な判断に過ぎないし、まさかそれを引き合いにこの週末出かけるひとにとやかく言える筋合いはないかもしれないが、それでも、どうか家にいてほしいと願うばかりである。
このように不安な状況では、いつも以上に日々の情勢にストレスを感じてしまう。早く日常が戻ればいい、とぼくも思いたいところだが、しかしどうもこれは、日常と呼べるような状態が戻ったとしても、もはや元の世界には戻らないのではないかという気がする。都心に出るのをきっぱりやめた頃から感じていたことだが、大地震を境にものごとがすっかり変わってしまったように、今回もここを通り過ぎたあとにやってくる日常は、だいぶ様変わりしているのではないかと思う。少なくとも、ぼく自身には心境の変化があるというか、物事への視線が少し変わりつつあるような気がする。特異なテンションが引き起こしている気のせいである可能性もあるが。
幸いにも今のところやることはあるし、遠くまで行かなくとも家の周囲だけで生活するには足りている。この状態があとどのくらい続くのかは全くわからないが(どうして5月や夏頃には収まると思えようか)、いずれにせよこれまで通りの日常をある程度は諦めなければならなくなると思う。大したことは考えられないが、あれこれとシステムを変えてやり過ごそう。
ばあば
昨日、祖母が94歳で亡くなった。ソボと発音するのもオバアチャンと言うのもどうもしっくりこず、少々気味が悪く聞こえるかもしれないが30歳を手前にしながらも「ばあば」と呼ぶのが未だにしっくりくる。
実家を離れる際に一応挨拶をしたが、その時点でもう孫のことを娘が連れてきた男などと認識するくらいで、その後10年の間に(実家を出て10年経つというのが驚く)すっかり変わってしまい、ぼくが最後にばあばと言葉を交わしたのは随分昔のような気がするが、それでも本当にいなくなってしまったというのには重みがある。お母さんと電話で話すときにも、どれだけ形式的でもそれを言うことをできるだけ忘れないようにしていた「おばあちゃんは?(元気?)」という挨拶はもはや必要でなくなってしまったのだ。
多少迷ったものの、結局その顔を一目見てお見送りをするための帰郷は、しないことにした。ご周知のようにこのような時局なので、東京の端から房総まで移動すること、もっと言えば家から高速バス乗り場のある新宿までの移動が躊躇われたのだ。ついに一ヶ月以上都心に出ていないが、今になってその方面に出ていくのはちょっと慎重にならざるを得ない。理由が理由なので、そのために出かけるのはやむを得ないかもしれないが、理由がなんであれ人が長距離を移動して、また戻ってくること自体は変わらないとも言える。このことで、ぼくが現状をどれだけ重く見て警戒しているかは伝わるかと思う。それでも、多少がんばってでも行った方がいいのではないかと最後まで迷ったのだが、両親も事情と懸念は十分にわかってくれ、もとより無理しなくてよいということだったので、もしかしたら一生悔やみとして残るかもしれないが、諦めることにした。
そういうわけなので、まだぼくの中ではこのことは両親から聞いた情報でしかなく、目の当たりにはしていないのだが、そのせいか余計にいろいろと思い出している。中でもふと思ったのは、元々おもちゃを買ってもらう条件として聞いていた「髪は染めない」「外国人に道を尋ねられたら決して知らんぷりはしない」という言いつけを、なんだかんだ今もまだ守っているということだ。髪は今日まで一度も染めることはなかった。後者については田舎で過ごす子ども時代にはなんのこっちゃという感じだったが、都会に出てからは実践しているし(せざるを得ない)、なぜばあばがそれについては特に強く言って聞かせてきたのか、今ではよくわかる。まあ大したことではない。どちらもフツーに生きていれば守れる言いつけである。これからもばあばサンタとの契約を守り、自分でおもちゃを買うのだろう。ばあば、おやすみなさい。