仕事のやり方

気づけば来年で専門学校を卒業して10年になる。卒業後の初夏くらいには一応名前の載るイラストの仕事をやっているので、キャリアとしても10年である。10年経ってもなかなか慣れないことにぶつかるばかりで、未だ模索と試行錯誤の連続なのだが、まあ、これは一生こうなのだろう。とは言えそれだけの時間やってきているので一応、自分なりのやり方が出来上がってきたというか、特に考えなくても手が動くくらいにはプロセスが習慣化したように思う。ひとによってはそういうのを「こなす」と呼び、そこには往々にして否定的なニュアンスが含まれるのだが、ぼくとしては仕事というものはこなさないでどうするのだという感じである。依頼主にしてもこなしてくれないと困るだろう。こなした上で、その中で自分にとって重要なところは工夫と力を注げばいいのである。というかそうあるべきだと思う。
自分なりの仕事の手順が決まってくると、今度はそれをひとに教えてみたくなる。10年もやってればひとに教えてもよさそうなこともいろいろ出てくる。こういう経験はひとにも教えたほうがいいのではないか。それは別に後続の人間だけでなくて、今現在も仕事をしている同業者にしてもそうなのだが、いかんせん親しい同業者が全然いない。いたとしてもぼくより経験が豊富なので特にこちらから共有できるようなこともない(愚痴の共有にはなるだろうが)。しかし、これひとに教えたいななどと思う一方で、そういう教えたがりな年寄りにはなりたくないし、作品の外でひとの世話を焼こうとする作家というのがどうにも好きになれないし、業界というものに対して帰属意識みたいなものも大してないので、やや教えるということに躊躇がある。専門学校の授業のひとつで講師がかつて教えて、今現在一線で仕事をしている卒業生というのを個人的に呼んで話をしてもらうというのがあり、ああいうのに誘ってくれれば、じゃあしょうがないということになり、一席ぶったりもできるのだが、もちろんそんな誘いも気配も全然ない。というかあの学校からはすっかり忘れ去られていると思う(こちらも卒業生であることをアピールしていないのだから当然と言えば当然だが)。それに授業に講師が呼ぶような卒業生というのは、卒業後も講師とコンタクトを取り続けるようなまめな人と見え、そんなことも一切やっていないのだから呼ばれなくて当然である。てっきり卒業後はああいうのに呼ばれると在学中から思い込んでいたのだが(マジかよ)。とは言え今の自分を見、これまでの自分を振り返ってみたところで、果たして学生たちの参考になるようなところがあるだろうか?
思えばどれひとつ取っても、専門学校が好んで教えるような手順を踏まずに来ているような気がする。なにか特別なことをした、というわけではなく、普通やるべきことをしてこなかったという方が大きい。売り込みと呼べるようなことは全然していません、あちこちの出版社を自分の脚で歩き回るようなことをしていません、作品集も大してまとめていません。じゃあなにをしたのか。大してなにもしていない。ひとつだけ言えるのは、描くのをやめなかったことですね、などと紋切り型で嫌味に聞こえるような言葉で締めるのが関の山ではないか。自分で書いていてもこれはなんの参考にもならないなと思う。とは言え、今どき紙ばさみやフォルダを持って出版社まわっているようなひとが本当にいるのだろうか?どうもこれが自分ではイメージしづらいところである。トミ・アンゲラーは靴底すり減らしてニューヨークを歩き回ったというが、今やそんな姿は専門学校の授業の中にしかいないのではないか。とは言え授業でそうすべきと教わったのももう10年前のことなのである。今ではもうそんなこと教えていないのかもしれない。そう思うと、自分が学生だった頃というのは、アナログが重んじられた最後の時代だったのかもしれない。ましてや今は対面で会うことが忌避されている状況。もはや直におしかけるようなことを推奨もしてはいないだろう。まあしかねないのがあの学校らしいところ、と言えばそうなのだが。
とは言え、今こうして仕事をしているこのときこそ、学ぶことが多く、これをそろそろ書いてまとめておきたいと思った。学生時代は仕事がもらえるようになるまでのプロセスが知りたくて仕方がなかったが、実は本当に重要なのは仕事が始まってからのことだったのだと、当時の自分に教えてあげたいものだ。どういう準備をしておくべきか、こういうことを頼まれたらどう対応すればいいか、こんなトラブルが起きたらどうすべきか。特にトラブルについてはレクチャーがあったほうがいい。自力で乗り越えると経験値にもなるが、その際のストレスが計り知れない。だがストレスのない仕事というのはままごとのようなものでもあるので、やはりトラブルのひとつやふたつあったほうが、単調になるよりはいいのではないか。というより、なにかしら必ず起こるものだ。そうでなければ本当に、こなしてるだけになる。