ハリーのことを全然わかっていなかった

年末あたりからあまり読み返してなかった「ハリー・ポッター」の後半6、7巻を読んでいたのだが、なんというか、刊行当時の十代の頭では全然理解できていなかった情緒や社会的要素といったものがようやくわかるようになって、一気にいろいろなものが押し寄せてきてなかなかの衝撃だった。完結から十数年経つというのに今になって改めてわかることが出てくるとは、やはり好きな本は読み返さないといけない。
なにがいちばん大きいかと言えば、ハリーたちの気持ちの揺れ動きが前よりわかるようになったところだ。基本的にはハリーの主観によって書かれる物語なので、彼の心理はもちろんだが、彼の目を通して描かれる他の人物たちのそれも、注意深く読んでいるとよくわかってくる。ロンとハーマイオニーの関係はもちろん結果としてはわかりやすいのだが、その過程、やたらとぶつかり合いながらもだんだん惹かれ合っているらしい様子などは、こんなに細かく描写されていたのかと驚く。
それを察知したハリーが、ふたりの親友の関係が新しい形を取り始めたことを、うれしさ半分不安半分の複雑さで受け取るところもまたいい。この関係がうまくいかなかった場合、また3人は以前と同じような関係を続けることができるだろうかと。
十代の頃はそれほど関心を持たなかったくだりである。だって異性の友達とかいなかったし、こういったケースに仮に自分を置いて考えてみる、といったようなことが全然出来なかった。ぼくにとって人間関係というものは種類が恐ろしく少なく(今もそれほど多様ではないが)、また自分の知らないケースへの想像力が恐ろしく欠如していた。だからこのときのハリーの不安もそれほど感情移入できるものではなかったのだろう。というかこんなところ当時読んだ記憶がない。そこで、当時の自分がいかに情緒的に乏しかったを思い知る。こんなにはっきり活字で書いてある心理描写にもピンと来ないのだから、実際のコミュニケーションでそれを読み取るなんて無理な話である。そして、もし当時から最低限でもその力があったなら、もっとハリーたちを身近に感じていたことだろう。ぼくはずっと彼らを本物の友達のようによく知っているつもりだった。多くのポッタリアンたちがそうだと思うが、自分もまた彼らの同級生であるかのように感じながら読んでいた。しかし、全然わかっていなかったのだ。せいぜい教室の反対側にいる、一度もしゃべったことのないクラスメイト程度である。
とても悔やんでいる。もっとちゃんと読んでくるべきだったとか、もっと人付き合いをするべきだったとか、視覚的な空想だけでなく人の気持ちを想像するべきだったとか、いろいろなことを悔やむ。もちろん今からでも遅くはない。ようやくこれだけのことを読み取れるようになったのだ。確実に進歩はしていると思う。そして、今からでもハリーたちのことを知ることもできる。後半だけと言わず最初から全部、何度も何度も読み返そう。