お誕生日ディズニー

妻がぼくの誕生日にディズニーランドに行こうと言ってくれたので一家3人で行ってきた。ただディズニーランドに行くだけではない。前日から行って夜はディズニーのホテルに泊まり、そこで誕生日を迎えて、翌日はシーで遊ぼうという壮大な計画である。誕生日にディズニーランドに行くだけでもすごいのに、泊まりで続けてシーまで行くなんて普段の頭では考えられない。ぼくはもうすっかりレジャーとは無縁な日々をおくっていたので体や頭がついていくかと不安もあったけれど、遊びへの復帰としてこれほどのものはほかにないだろう。

天気は台風接近ということもあり両日とも雨だったが、心配していたほどではなく、ただひたすらぱらぱらしとしとと降っていた。雨のディズニーは初めてではないからなんとなく想像はできたし、思えば誕生日はいつも天気が悪い。去年も台風だったし、10年前19歳になった誕生日も土砂降りだった。そもそも生まれたときも台風で、そういう時期なのである。

予約を取った頃ちょうどオープンした新しい「美女と野獣」エリア。完全予約制かつ雨で人出がそれほどない中、ここはやはり多少混み合っていた。アトラクション自体の予約は取れなかったので外の街並みを素通りしただけだが、よく出来ていた。既存のランドの背景に比べて、どちらかといえばシーの方に近い気合の入れ方。あちこちの窓からボンジュール!と陽気な(それでいて中身がなさそうな)住民が挨拶してきそうなあの家々が再現されていた。

オーディオアニマトロニクスでなく本物のカラス

ぼくはそれほどこの新エリアに関心はなかったけれど(今後予定されているシーの拡張のほうが惹かれる)、これのおかげでディズニーランドにおけるぼくの地理感がちょっと狂ってしまって、方向音痴ながらディズニーパークの中ではそれなりに方向を覚えていると思っていたのだが(そういうふうに出来ている)、しばらく行っていなかったからなのか、一角がかなり大きく拡張されたからなのか、雨で視界がよくなかったからなのか、多分その全部だろう。ときどきわけがわからなくなった。人の流れが若干変わってしまったのかもしれない。「ベイマックス」等のアトラクションのためにトゥモローランドのランドマークとも言うべきロケットがなくなってしまったのは残念だ。

これはディズニーブランドのキャラクターを大幅に追加した「イッツ・ア・スモールワールド」もそうだけど、かつてあったような世界や技術への探究よりもキャラクターコンテンツに比重が寄ってきてしまっているのは、正直に言えば寂しく思う。ぼくもキャラクターは好きなので言えないが。ディズニープラスで配信されているディズニーパーク建造の歴史を紐解いたドキュメンタリー「イマジニア」なんかを観ていると尚更そう感じる。まあ、ぼくが遊びに行くようになってからはもうとっくにキャラクター主体になっているので、体験しえなかったものへの郷愁に過ぎない。とりあえず「ベイマックス」のアトラクションにはなんら惹かれるものがなかった。作中の舞台であるサンフランソーキョーの街並みが再現されているならともかく。

予想はしていたが、どれだけ地味なアトラクションであっても2歳の娘が急に楽しんで乗れるわけもなく、彼女のご機嫌をとりながら雨の中こっちへ行ったりあっちへ行ったりしているうちに、ランドでの初日は終わった。結局乗ったのはアリスのティーカップ(これを最初にしたのがまずかった)、「プーさんのハニーハント」(これはそこそこ喜んでいたがクライマックスの悪夢のシーンで怯えていた。ぼくも怖い)、そして「イッツ・ア・スモールワールド」くらい(まあまあお気に召したらしい)。それから閉園間際にぼくだけで急いで乗ってきた定番「ホーンテッドマンション」。実はハロウィンのシーズンに通常版の「ホーンテッドマンション」に乗れるのはなかなか貴重(感染症対策でハロウィンの模様替えやイベントは中止)。いつ頃からか、9月から年末年始までずっとジャック・スケリントンに乗っ取られるようになってしまったので(もちろんあれも好きだが、いろいろと明る過ぎて本来のホーンテッドらしさが全然ない。あれこそ別個で作ればいいのにな)、いい体験ができた。しかも夜になって乗ったからか、周囲はもちろん内部も一段と暗い気がした。

ディズニーに来てこれしか乗ってないなんて初めてで、そりゃ物足りなさもあったけれど、かえってなんだか贅沢な過ごし方をした気もする。身動きもある程度取りづらかったので、見に行っていない一角もいろいろある(ところどころ閉鎖になっているから尚更そう感じたかもしれないが)。こうして思い返すと、あそこも行っていない、あれも見ていないなというのが結構ある。そうしてまた行きたくなってくる。

ホテルはアンバサダーホテルに泊まった。去年友達の結婚式があったところだが、誕生日に泊まることになるとは思ってもみなかった。ディズニーのホテルは初めてディズニーランドに来た5歳のときにも泊まった気がするが、あれはどこだったのか全然わからない。部屋のテレビはディズニーチャンネルが通じているので寝るまでずっと観ていた。翌日のディズニーシーのチケットもフロントで取れてほくほくである(ホテルに泊まるとチェックイン日以外の日のチケットをフロントで取れるようだ)。ここではなにも心配する必要がないのだという、この頃は感じなかった安堵感。当然一時的なものでしかない。頭のどこかでそれはわかっていながら、しかしその一時の安心がなにより必要なのだ。

これは取っておこう。

 

二日目、誕生日当日のシー。依然しとしと雨。初日よりは弱い。風のある雨じゃないのが本当によかった。続けて行くと顕著だが、ランドに比べてシーは歩くところが広く、視界も開けていて歩きやすい気がする。あまりこちらでランドのような人混みができているのも見たこともないし。ランドは結局ところフロンティアやトゥーンタウンのように見てまわるセット作りのエリア以外では、アトラクションの外側をそれほど作り込んではいないので景観的におもしろいものは少ないが、シーのほうはなんでもない建物を丁寧に作っていて、船や列車、街並みというものが見ているだけでも楽しく、前日よりは娘のご機嫌もとりやすかった。二日目は前日は買えなかったポップコーンバケットを買ったのも大きい。初日だって欲しかったのだが、どこ行っても「美女と野獣」と「ベイマックス」しか置いておらず、欲しいバケットがなかったので買いそびれてしまったのだ。こんなことならすでに持っているR2-D2を持っていけばよかった。

ポップコーンバケットと言えば、みんな本当にいろいろなものを持っている。そして、誰かが持っていたからといってそれがその日売っているとは限らない。大抵の場合おもしろい形のものはかつて販売されていたもので、各自マイバケットとして持参しているのだ。見た感じ結構年季の入ったものをぶらさげているひともいて、なるほど、来るたびに新しいのを買って集めるのも楽しいだろうけれど、同じものを長年使い続けるのも安定していてよさそうだ。なによりすぐにリフィルして食べられる。味とバケットの組み合わせで困ることもない(欲しいバケットなのにフレーバーが好きじゃないなど)。長年愛用の旅行鞄のように馴染んだりしたら素敵だろう。そうと決まれば次回はR2-D2(の中を綺麗にして)を最初から下げていくぞ。

というようなことを考えていたら、ディズニーパークに定期的に行く趣味というのも楽しそうだなあと思い、わくわくしてきた。特別なときに取っておいてもいいけど、とにかくいつまでも時折ディズニーに行く人間でいようと思うのだった。

シーの街並みにはいろいろなスタイルがあるが、中でもこのニューヨーク(それも20世紀初頭)の街並みは楽しい。広告や看板もなかなかよく作ってあり、いろいろなものがあるのでおもしろい。こういう作りが細かく切れ目がなく続いているので、ランドよりもかえって別世界観が楽しめると思う。なにより無理になにかに乗ろうとしなくても楽しいのがいい。この写真のコンサートホールは、前に友達と来た時に抽選が当たったので中でショーを観たことがあるが、結構本格的で感動を覚えた。

かと思えばこういう遺跡なども細かく、とにかく作り物に見えないように視界が限られているところがリアルさを感じる。決して全体像は見えず、また奥のほうがどうなっているかまでは目が届かない。キャラクターグリーティングの予約が取れたので、一家はここでピスヘルメットを被った探検隊仕様のミニー・マウスと対面した。ぼくはもうなにマウスの着ぐるみでもへいちゃらである(5歳のときは大泣きした)。娘は怖がるかなと思ったが、案外平気で(ものすごく気を使った距離離れていたのもありそうだが)うれしそうに手を振り続けていた。オーディオアニマトロニクスなどに比べたら、血が通っていて怖くないのかもしれない。

「マーメイドラグーン」というのも、前に来ているはずなのだが、なんだか今回はとても綺麗で楽しく感じられた。色合いへの反応の仕方が変わったのだろうか。娘の気を引けるものを探してあちこち見渡す中で感度がよくなったのかもしれない。海の底っぽい若干の薄暗さの中で色とりどりの魚や珊瑚がよく映えている。ここでもグリーティングの予約ができたので、娘はアリエルと対面。これはもう全然平気だ。人だし。多分人魚ということもわかっておらず、ちょっと派手なお姉さんくらいにしか思わなかっただろう。「ばいば〜い」と手を振っていた。

子どものときほど没入というか、その世界観に圧倒されるようなことはなくなりつつあるが、それでもやっぱりぼくにとって気分転換にはうってつけの場所だと改めて思った。2歳の娘を連れて、雨の中だったとしても、である。子どものときのように楽しめなくなってしまったのではないか、と寂しくなったときもあったが、大人になって見るところや感じるところが変わったのは悪いことではないだろう。セットにせよキャラクターにせよ、作り手の意図や機械の仕掛けについて想像したりというのは、今だからできることだ。少なくとも魅力を感じないなんてことが全然ない。あれこやこれやの悩み事を一瞬でも忘れられる場所があるということも思い出せてよかった。創造の意欲だってわく。わくだけかもしれないがわくだけでも重要だ。素晴らしい誕生日をありがとう!

雨具を拒否してポップコーンを肌身離さず歩き回る娘とそれを追う妻