無駄のない線

元旦、というか大晦日の深夜に書いたきり日記記事を全然書いていなかったのでそろそろ。イラストはそれなりにアップしていて、キャプションついでにいろいろ書いているから、もっと全体をブログっぽく変えていったほうがいいのかなあ。
今年もおかげさまで初っ端からずっと絵を描いているのだが、仕事であれプライベートであれ、ブラシ先の設定に悩んでしまうのは相変わらず。こういう感じの線のほうが全体の密度がいいのではないかとか、雰囲気が出るのではないかとか、場合によってはここはできるだけ均一な線で描いてほしいという依頼もあるが(こう言われてしまうのはやはりぼくの手法が目に見えて定まっていないからだろう)、いずれももっといい絵にしたいからにほかならない。しかし、いい絵とは線がどうこうより当然ながら内容、技量、センスである。描きたいものと手法が合致しているのに越したことはないが、少なくとも先に手法を決めようとしても仕方がない。いやもうこんなこと何度も自分に言い聞かせるように書いていることなのでいい加減にしたいが、結局のところ道具ややり方はシンプルなものでいいということにいつも落ち着く。
シンプルと言えば、よく「無駄のない線」みたいな表現がある。無駄な線なんてないだろうと思うのだが、もちろんこれはそのひとの絵においての話であって、別に線をいっぱい描き込むこと自体が余計なことだというわけではないだろう。それじゃあまるで線をいっぱい描くのが損というようなことになってしまう。線の少ない簡潔な絵もたくさん描き込んだすごみのある絵も、かりに値段が一緒だったら線の単価は前者のほうが高いということになってしまう。もちろんそんなことは馬鹿馬鹿しい。どちらの絵も描き手にとっての労力はおそらく同じで、前者も別に簡単に描けるというわけでもなく、後者もまたそのひとにとっては最も描きやすいやり方だったりするのだ。効率ばかり考えて出来ることではないのが、この仕事の悩ましいところだろう。でも、線の単価は上がらなくとも、自分にとって余計なものだと思う要素を削っていったら、描くものそれ自体の価値自体は上がるんだろうな。