Mission: Impossible – The Final Reckoning (2025)

 どうしてこのひとはいつもこんな目に遭うのだろう、と思わずにはいられないのだが、それは彼がイーサン・ハントだから、と答えるしかないのだろう。なんでこんな目に遭うのか、なぜ彼がそれをしなければならないのか、そんなふとした愚問に対して、過去に彼が遂行したミッションを原因に持ってくることで、シリーズ全体の回収と清算も含めて徹底的に突きつけてきたのが、今作である、と思う。

 前作から人類の脅威として現れた人工知能「それ(エンティティ)」の正体こそ、3作目でイーサンが妻ジュリアの命と引き換えに奪取を命じられたオブジェクトが成長した姿だったことが明かされる(フィリップ・シーモア・ホフマン、懐かしい)。つまりは過去のミッション(エージェントとしての正式な任務ではないにせよ)の「成功」が今回の脅威を生み出してしまったわけで、イーサンはその責任を取る形で闘いに挑むことになる。

 ほかにもイーサンを追いかけるCIAのエージェント(前作から登場しているシェー・ウィガム)が実はあのジム・フェルプスの息子であったことがわかったりと、言ってしまえばほとんど後付けの展開による回収なのだが、全体に勢いがついているので小うるさいことは言いっこなし、という感じはする。アレック・ボールドウィンのハンリー長官と入れ替わるように、1作目以来の再登場を果たしたキトリッジも、原点へのリンクを牽引している。

 そういった過去(主に1作目)の清算の中で個人的にいちばん刺さったのは、あの気の毒なウィリアム・ダンローが救われていたことだ。ラングレーのCIA本部でダクトから宙吊りになるという、シリーズを象徴するあの有名なシーンの陰で、コーヒーに薬を盛られて腹痛と嘔吐に苦しめられ、イーサンの侵入により左遷させられてしまうあのひとである。今作で再登場するという話を聞いたとき、2作目以降の全ての黒幕はイーサンへの復讐に燃えるあのひとだったのだ!と勝手に妄想したものだが、もちろんそんなことはなく、実際に29年ぶりに姿を見せたダンローは、左遷先のベーリング海の島で、人生の伴侶を得て満ち足りた日々を送っていた。自分の人生を狂わせた張本人であるハントとついに対面した彼は、彼に恨み言を言うどころか、感謝の言葉を送るのだった。確かにあのまま何事もなければ自分はラングレーでの仕事に満足していたかもしれない。しかし、人生の豊かさを知ることはなかっただろう、と彼はそんなふうに29年前の分岐点を振り返って見せた。

 それは分岐点というより、幅の広い道の両端というようなものだったのかもしれない。ダンローの人生はなにも狂わされてなどいなくて、ほんの一瞬の腹痛とわずかな屈辱を挟んで、彼にとって最良の道となって続いていた。あのひとはあのあとどうなったのだろうか、と1作目を見返すたびに思っていたことなので、それに対するベストな回答が得られてぼくは感無量である。
「謝ることなどないよ」
 ダンローは豊かにたくわえた髭の奥から、温厚そうに言って、イーサンにあるものを渡す。あの日、コンピュータのそばに突き刺さり、何者かの侵入を示したタクティカルナイフである。「君は人生の恩人だ」
 今作はイーサンが過去に遂行したミッションが元で持ち上がった問題に対処する物語である。合衆国政府の要人たちに、イーサンがこれまで「しでかしてきたこと」で責められるシーンもあり、「チーム」の仲間以外には、彼の英雄的行為が知られることもなく、その尽力に感謝し讃える者も表の世界にはいないことが示されるが、ここにひとり、彼のミッションの巻き添えによって人生を救われ、彼に感謝している人物がいる。ダンローの感謝の言葉は、彼個人のものであると同時に、人類の感謝さえ代弁しているのではないか、と言ってしまうのはやや気恥ずかしい飛躍だが、あのお礼によってイーサン自身もまた救われているのではないか。人類を何度も破滅から救ってきたが、ああいう個人的で素朴な感謝こそ、言われて最も実感できるのではないか。やってきたことは無駄ではなかったな、と少しでも思えればこそ、ジャック・マイヨールも驚きの無茶な素潜り(素浮上?)もやりがいがあるというものだろう。

 ついでに、ここまで出揃った中でぼくがいちばん好きなのはやっぱり4作目、『ゴースト・プロトコル』である。ブラッド・バードの洒脱さとコミカルなセンスが良く出ているほか、ぼくにレア・セドゥという女神を教えてくれた重大な作品である。報酬はダイヤモンドのみの殺し屋、サビーヌ・モロー役。透明感と怪しさ、ぼんやりとした冷たさのある悪役。ドバイのブルジュ・ハリーファの高層階から宙に投げ出されて退場するというのも、悪党の最期として素晴らしい。『白雪姫』の魔女、『ダイ・ハード』のハンス・グルーバーなど、悪党は高いところから堕ちるものなのである。メインの悪役を演じたスウェーデン俳優のミカエル・ニクヴィストもまた良いんだよな。

 『ゴースト・プロトコル』はまた、以降の作品に比べるとチームとしての仲間たちの役割が機能しているところもいいと思っている。作戦は例によって途中で計画が狂ってしまうのだが、大統領令「ゴースト・プロトコル」により切り捨てられて孤立無縁となったIMFの仲間たちが、残されたリソースとお互いだけを頼りに作戦に挑むという展開がいいし、確かにこの作品でのイーサンのビルディング・クライミングから彼の無茶な肉体芸が本格的に恒例になったりするのだが、まだまだチームが互いを補い合わないことには、いくらイーサンが背筋を伸ばして走り続けても解決しないという感じがあった。あそこからあのノリの話が続いていくのかなと思いきや、そうならなかったのがちょっと残念ではある。