キャラクターの声

 有名キャラクターの声優がいろいろな理由で交代したりすると、決まって新しい声には否定的な感想があがりがちだと思うのだが、変わったばかりのものに違和感があるのは当たり前のことなので、新しい声を聞いた途端に脊椎反射で妙であるとか変であるとか、違うなどとわざわざ否定の色を濃くして表明することにはなんの意味もないように思える。もちろんこの場合アニメーションのキャラクターなわけだから、見慣れたヴィジュアルでありながら声が違うというのは、他の種類のリニューアルに比べると覚える違和感は大きいのだろう。とは言え声優が人間なのは言うまでもなく、ほとんどの場合、必ずしも前任者とそっくりの声を再現するのを仕事とはしていないのだから、違う声なのは至極当然のことだ。こんなことをこうして書いていることさえばかばかしいくらい、言うまでもないだろう。だからどうしても、なにかにつけて「新しい声は変」という話が持ち上がってくるたびに苛立ちを覚える。その「新しい声」が新しくなってからかれこれ20年くらい経っているなら尚更である。いつまで言っているんだと思う。多分そういうふうに指摘するのが好きなのだろうし、もしかしたらそれを楽しんでさえいるかもしれない。
 中には前任と同じ声を器用に再現する後任というパターンもあるのだが、ぼく個人はそれをやるくらいなら少し、あるいは丸っ切り趣の違う、その後任の人とわかるそのままの声などで引き継ぐ方がいいように思う。結局のところ再現というのは真似であって(もちろんプロによる真似なのだがそれでも)、それをそこから長年に渡って通そうとすると恐らくどうしたって破綻が訪れると思う(むしろこういう、表面的にはよく似ている声ほど、微妙な違いが際立って気になると思うのだが)。どれのなにとはもちろん言わないがぼくらはすでにその過程を目に、耳にしているのだが(そう感じているのはぼくだけかもしれないが)。もちろんアマチュアの単純な声真似など論外だろう。
 対して、その人の声をベースに自然(ぼくは声優の声音のメカニズムに通じているわけではないので、安易に自然などと言いづらいのだが)に出している声であれば、少なくとも聴いている方は長い間特にストレスもなく受け取ることができると、実際にそういう方向で引き継がれたであろうキャラクターたちを見ていると思うのである。もちろんこのストレスというのには最初の方で書いた、いつまでも交代後のバージョンを受け入れようとしないで時間が止まっているようなひとのご機嫌は含んでいない。だから言ってしまえばリニューアルされた声というのは、自然に引き継ぎさえすれば本当は聴いていてかなり心地のよいものなのではないか。小賢しい予断があるからいけないのだ。比較や一般化でなく、あくまで自分のノスタルジーや思い入れの上で、旧版を讃えればいいのである。