珍しくNetflixの日本ものに興味を持ったのは、きっと作品(とその原作)がモチーフにしている実際の地面師詐欺事件に多少の関心があったから、もっと言えばその事件の舞台となった土地(にあった建物)に多少なりとも興味があったからだろう。
専門学校に上がった2010年の夏というのは、田舎を出て都会で過ごす最初の夏でもあったので、18歳ともなれば舞い上がるのも無理もないが、何事にも先立つものがなければならないから、大して遊んだわけでもない。それでも、初めて出会う雑多な種類の人間と接したり(結局その多くも他の別々の田舎から集まっているに過ぎないことにはもう気付いていたが)、お金を使うことができずともその辺を歩き回るだけで十分おもしろかったものである。
そんな中で目にしたのが五反田にあった「海喜館」という旅館である。ある夏の夜、当時その近くに住んでいた友人が、ぼくが好きそうなスポットがあるというからのこのこついていくと、都会の灯りや喧騒の中に、モルタルというのか、白壁に瓦屋根が載った和式の塀が突如として姿を現した。白壁と言ってもすでにそれは黄ばみを通り越して茶色にまで変色してしまっているほどに古く、塀の内側に生えている木々の生命力によって押し出されて膨らんでいるところや、亀裂が入っているところなども余裕で見られる。塀の中というのは、そういうわけだから鬱蒼とした雑木林と化しており、肝心の旅館そのものはほとんど見えない。とは言え、そんな塀の様子だけでぼくには十分だった。もしこのとき塀の周りをぐるっと一周でもすれば、場所によっては建物の一部が見えたらしいのだが、そのときは夏の夜の散歩でこれ以上のものはあまり見たくないと思った。
さらに友人が言うには、こう見えてしっかり営業しており、泊まるひともいるらしい。営業中となれば尚更失礼な話なのだが、泊まるひとがいるということに余計に恐さを感じてしまった。この様子で営業している、つまりは内側に血が通っている、中に人がいる。それがその独特の雰囲気の理由だったのかもしれない(その後2015年には旅館としては廃業したらしい)。都会の賑やかな面、小綺麗にされた面しか見ることのなかった18歳は冷や水を浴びせられたように感じたのであった。友人が思っていたほどぼくはそういう洒落にならない怖さみたいなものは受け付けないのである。その夜以来、その付近に近寄ることがなかったので(避けたわけではなく単にタイミングの問題で立ち寄る機会がなかった)、今でもぼくの頭には光で溢れている駅前や繁華街をよそに、黒々とした大きなものが一切音を立てずに寝そべっているような光景が残っている。
それからずっと後、なにかの拍子にこの旅館のことを思い出して検索などすると、もちろん有名なスポットなのでいろいろと詳しいところがわかったりするのだが、中には実際に宿泊したひとのブログ記事なども見つかった。それは2000年代中頃の記録だったのだが、その人はもう本当に兼ねてよりそこに泊まってみたくて仕方がなかったらしく、電話で予約しようとするたびになにかしら理由をつけて断られ続けた挙句、ようやく念願叶って宿泊に至ったという。営業はしながら予約を断り続けるというのもなにかありそうな気配なのだが(結局それは宿泊客を装った不動産業界の人間が不意打ちで土地売却を打診してくるというケースに嫌気が差しての対応だったらしい)、ブログに掲載されていた旅館内部の写真から受ける印象は、まあ単に古い旅館、という程度で、身勝手ながらやや拍子抜けではあった。案外そういうものなのかもしれない(重ね重ね失礼な話なのだが)。外観にしても、もし今もあの旅館が残っていて、白昼はもちろん夜間にそばを歩いたところで、初めて目にしたときほどの強烈さはきっとなかったことだろう。あれはきっとあらゆるものが新鮮に見えたあのタイミングでなければ感じなかったことのように思える。ちなみに「海喜館」はその様子から「怪奇館」などと揶揄されもしていたようだが、実際には「うみきかん」と読むらしい。つくづく部外者というのは身勝手である。
前置きが長くなったが、この老舗旅館の建つ土地を巡って起こった地面師詐欺事件というのが、このたびの「地面師たち」とその原作の着想元なのである。詐欺師たちはこの土地の所有者の偽者を仕立て上げ、土地売却の意思があるという所有者側になりすまし、なんの権利も持たない土地の売買取引により大手住宅メーカーから途方もない巨額を騙し取ったのであった。
まさか学生時代に半ば肝試しじみた夜の散歩で目にしたあの旅館(正確にはその土地)を巡ってそんな事件が起きていたとは。しかし、ある程度大人になってものを知った後では、確かにあんな立地にあのような広さの土地が、傍目には実態の不明瞭なものが建っているだけとなれば、そういうことに狙われても不思議はないのもわかる。そういうわけで事件自体にある程度関心があったので、「地面師たち」はぜひ観たいと思っていた。一体地面師詐欺というのはどういうものなのか、自分が持ってもいないものを勝手に売るとはどういうことなのか、他人になりすますことなどできるのか、どうしてひとはそれに騙されてしまうのか、非常に月並みで野次馬的だが、そんなところが気になっていたのである。
率直に言ってとてもおもしろく、リミテッドシリーズでさほど話数もないので一気に観てしまった。というか、視聴した多くのひとがそうだと思うが、とても途中でやめられない、半端なところで中断してもしょうがない作品である。話の引きはもちろん、俳優たちも見ていて飽きない顔ぶれで、画面にいい具合の濃さが出ていてとてもいい。Netflix作品として外国のひとにもわかりやすいキャラクターが出ていたのではないか。東京の景色の切り取り方にしても、海外からの目線にとってもおもしろそうな角度に思え、それはぼくたちにもときに新鮮に、ときに怪しく映る。問題の旅館は劇中ではお寺に置き換わっているが(正確にはお寺に隣接する広大な土地が地面師たちの標的になる)、これも絵的にかっこよく、東京の土地を巡るお話にとっていいアクセントになっていたことだろう(ちなみに同監督の他の作品はまだ観たことがないので、作風とかトレードマークなどは知らない上でこれを書いている)。
個人的に反芻したくなるのは詐欺師が仕掛ける駆け引きや交渉の場面で、もちろん脚色はあるのだろうが、周到な計画と巧みな話術により自分たちの望む金額を引き出し、信憑性を維持し、相手の欲をここぞと刺激し、焦らせ、偽装が剥がれそうになったらうまく誤魔化すという過程には、なるほどと思った。騙される方も最後まで油断ならない不審な表情を見せるが、結局のところ騙されてしまう。そういう展開を観ながら、おそらく多くの人が後ろめたいカタルシスを覚えたのではないか。
駆け引きがキーになるので、当然台詞も凝っている。中でもぼくはピエール瀧扮する法律担当の詐欺師が気に入っているのだが、交渉の席において相手不動産会社側の若い司法書士を威嚇するシーンが特によかったように思う。なにがどうということでもないのだが、台詞のテンポというか、機関銃染みたところが小気味いいのである。
「あんた登録年次いつなん?」「は」「えらい若いから心配になってなぁ、いつぅ?」「2012年です」「なんやぁ、まだ年次制研修1回しか受けとらへんのかいな。そんなんでこないな大事な決済務まるんかいな」
交渉や駆け引きには時にこのように相手の弱みや負い目に漬け込んだ威圧が有効な手段として使われるのだということを思い知ったシーンである。このように言われては、もしぼくなら萎縮してしまうだろう。このあとも詐欺師側にとって都合の悪い展開になりかけるので(用意した偽の土地所有者が本人確認の質問の答えに詰まってしまう)、瀧扮するこの後藤という人物は相手側の若い司法書士をさらに威嚇するのだが、意外にもこの司法書士は自分の職務へのプライドと義務から後藤に対してたどたどしくも力強く抵抗する。そのように出られては、そもそも本人確認の手順自体は順当なのだから、後藤もそれ以上は遮れなくなる。これはまだほんの序盤のくだりなのだが、これだけで手に汗を握るというか、作品全体に覆い被さる緊張感みたいなものに慣らされていくようだった。結果がわかっていても緊張するというのはおもしろい証拠である。また冒頭の、言わば地面師の普段のやり口を紹介するようなこの取引シーンは、終盤の決戦となる取引に対応するようなところがあるので、最後まで観終えたあとに思い返すとまた味わい深いところである。
ちなみに実際の事件での偽所有者は、本人確認の際に干支が答えられなかったという。劇中では本人確認の質問ひとつひとつにすごい緊張感があるのだが、現実では結構無理に誤魔化したらしい。
そんなふうに駆け引きは非常にリアルというかハラハラしておもしろく、演技も質が高いのだが、気になるところがなかったわけでもない。たとえば必要書類や身分証の偽造といった方面からさらに踏み込んでネットワークへのハッキングみたいな話が入ってくるのだが、例によってハッカーみたいなものを描き出した途端にやや陳腐になる。原作にはない要素やアレンジされたくだり、一部展開の変更に伴って一緒に変えられた部分も少なくないようなので、果たして元からあるところなのかはわからないのだが、とにかくそれまで現実的なプロセスに則して進み、演技が濃いめな分派手な描写が控えめでどちらかと言えば硬派な印象だったところに、急に巧みなキータッチのみで素早く目的を達するハッカーが出てくるのはやや浮いているような気がした。まあそのあたりはトム・クルーズのアクション映画でもお約束だし(あれは全体もそういうテイストなのだが)、あのハッカーのキャラが少し息抜きをくれていなくもないので、ないほうがいいというほどでもない。ただ個人的にああいうふうにそれまで示されていたリアリティラインが急に変動すると少し戸惑うのと、フィクション上の便利なハッカーや技術屋があまり好きではないのだろう(彼らはカタカタカタカタなにをしているんだ?)。
あともうひとつ気になってしまうのは地面師たちが一同に会して作戦会議などをする謎の部屋である。首謀者の部屋らしいので謎ではないのだが、しかしコンクリート打ちっぱなしで生活感はなく、やたらと広く、元々どういう建物の中にあるどういう部屋なのかが全くわからない。端的に言えばいかにもアジトっぽいアジトである。地下の駐車場から出入するシーンくらいはあるが、しかしそれより外側がどういう地域なのかはわからず、とにかくそういう交通の見えてこない空間なのである。ドラマの主人公が年齢や職業の設定を無視して住まわされている広大なハウススタジオの部屋を連想すると言えばわかりやすいだろうか。なのでハッカーにせよ謎部屋にせよ、ところどころどうしてもいつもの邦画やTVドラマの雰囲気に引き戻されそうになるのだが、まあでもそんなことは大して問題にならないくらい全体は上質でおもしろい。
印象的な台詞が多い中で、物語上のおもしろさとは別に印象的だったのは、標的となった広大な土地を指して何度か使われる「あの一箇所だけ暗くなっているところ」というような言葉だ(話者によって少しずつ違うので厳密な台詞ではない)。無数の灯りが輝く夜景の中にあって一箇所だけぽっかりと穴が開いたかのように暗くなっているので、少し高い位置からは問題の土地の場所がすぐわかるということなのだが、この言葉こそいつかの夏にぼくが木々に覆われた旅館の異様な姿を目にしたときの印象そのままと言っていい。どうしてそこがそんなに不思議に、異様に見えたのか、いくらでもそれらしい言葉で飾りながら説明できるのだろうが、なによりも最もシンプルに言い表すのなら、「そこだけ急に暗い」あるいは「黒い」といったところではないか。そして、その言葉を聞いた途端、ぼくが見たあの旅館を、他の大勢も同じように目にし、同じような感想を抱いていたのだという、至極当たり前のことを急に実感した。その途端、今観ている映像作品と、あの夏の夜に見た光景が地続きになっていることを感じた。なんだかんだ、地面は一枚きりらしい。
海喜館は事件のあとでちゃんと真っ当な方法で別の会社に売却され、あっという間に取り壊されて今はタワーマンションが建っている。晴れてなんの変哲もない風景が完成して行き交う人々も安心したことだろう。ほんの一瞬ではあったが、海喜館をちらりと目撃した貴重な記憶は今後も取っておくことにしよう。「地面師たち」は作品自体とてもおもしろかったが、14年前の夏の夜にあの薄汚れた古い塀と、鬱蒼とした木々、そして古い書体で旅館名が書かれたプレートを見ていなければ、ここまで自分の記憶と同期して観ることもなかっただろう。全くなにがどう繋がってくるかわからないものだ。