Mog the Corgi

 新たに子犬を迎えることになった。先代犬ポコの出身犬舎から、10月27日生まれのトライカラーの男の子。ポコとも遠縁にあたり、彼がこの世を去ったのは10月1日なので、これもなにかの巡り合わせだろう。ぼくが初めて子犬から飼う犬、初めて自分で名前をつけた犬、その名はモグ。

 新しく犬を飼うことはまだ当分先のようにも思っていたし、多分周囲にもそんなふうに言っていたかもしれないが、正直急に犬のいなくなった日々はなんだか時間が間延びしているように感じ、なにか物足りなさがあった(家族で出かけるのは楽しかったが)。あれだけ億劫だった朝夕の散歩もなければないで時間のメリハリがなくなってかえってダルくなってくるのだから虫のいいやつである。というような言い訳はともかく、犬が、というかコーギーが恋しくなった次第である。犬の世話は大変である。老犬の介護は言うまでもない。ポコの最期の日々を思い返せばまだしばらく犬はいいかとも思ったが、しかし、いないのはもっとキツいということがよおくわかった。

 ポコは藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」に登場する犬(?)のコンポコにちなんで妻が名付けたので、今度はぼくが藤子不二雄Aの「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造にちなんでモグと名付けた(作中でも喪黒は旧知の人々からモグちゃんなどと呼ばれる)。モグというふうに略せば犬らしいし、まず誰も喪黒福造を連想などすまい(実際モグという犬は多いらしい)。黒くてずんぐりむっくりでニタニタ笑いのかわいい犬になるといい。

 トライカラーを飼うつもりでなかった頃、なんとなく将来飼う犬の名前を考えていたとき、「シンプソンズ」を観ていた影響でホーマーやホーミーなどを思い浮かべていたが、妻が嫌悪感を示したので(無理もない、大抵の人間にホーマーのかわいさはわかるまい)没になった。そこで思いついたのが喪黒福造だった(ホーマーのかつての日本語吹き替えからの連想、ダース・ヴェイダーも同じだ!)。上記のようにポコの名前とも繋がりが持たせられる(普通に藤子Fのキャラで繋ぐよりいい考えに思える)。そこでこの黒い毛多めのトライカラーの子犬のことを知ったので、ぴったりだと思った。ポコとがらりと毛色(文字通り)が異なるのもいいように思う。というわけでモグをよろしく。

 ちなみにポコ同様モグも断尾済みでしっぽはない。ポコの頃に比べてしっぽのある個体も多く見られるようになったし、周りにも多い。ポコと違うタイプを求めるならしっぽの残っているのもいいように思ったが、モグとの出会いはタイミングだったし、しっぽの有無でどうこうということはあまり考えないようにしている。世の中としてはこの先断尾の習慣はなくなっていくのだろうと思うし、ぼく自身も後ろ姿の丸っこいコーギーのフォルムは大好きだが、一方で特に必要がなければやらなくてもいいことなのだろうということもわかっている。でも、今のところ断尾自体はブリーダーさんの方針次第であるから、ぼくがとやかく言うことでもないし、なにより断尾済みという理由でその子を遠ざけたり忌避したりするのは一番よくない。いずれにせよ、今までもそうしてきたが、ぼくはしっぽのある子もない子もまんべんなく絵に描いていくつもりである。なんと言っても皆コーギーだ。

 モグとそのきょうだいたち(モグは左から2番目のような気もするが皆よく似てるのでやや自信がない)。小さな黒いギャングたち。モグの行き先が決まったのはほとんど最後の方なのだが、結局彼が最初に出発することに。もう今頃はさらに数匹減っていると思うが、最初の一匹がいなくなった夜、皆どう思ったろうか?(気づいただろうか……?)

 モグたち5匹きょうだいのお母さんはアメリカからやって来たダフィ。これが初産となる。最初の子どもたちの内最初の一匹を連れ去ってしまったわけだが、ダフィこそどう思っているだろうか。ともかくモグが寂しくないようにしなければと思うばかりだ。

 初めて犬舎というものを訪ねてみて、スヌーピーの生まれたデイジーヒル子犬園の話とか、独特の犬種の生育と訓練をする農場が舞台の「エドガー・ソーテル物語」などを連想した。また妻が趣味でポコの周囲を中心に、この出身犬舎の系譜図を作ったことがあるが(もちろんひとつの犬舎の中にはおさまらないどころか太平洋も越える)、ぼくなどがぱっと見ではよくわからないものの、ただの犬の名前の膨大な羅列のようでいながら、なにか物語を想起させるボリューム、血筋の維持と多様化の奥深さを感じたりもする。ポコはああ見えて結構なエリート血筋の出なので、ポコ自身には子孫はいないながらもだいたい主要なところと繋がっているらしい(だからモグとも遠縁)。おもしろいなあ。

 最後に子犬たちと戯れるぼく。コーギーにだけ本当の笑顔を見せる男。