『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)

真っ先に浮かぶ感想としては、「すごいものを観た」。非常に長尺であるということは事前に聞いていて、ちょっとよくわからない脅し文句が並んでいるのも目にしてはいたが(トイレに立たないため前の晩から食事をとるなとか)、楽しい映画なら3時間などあっという間だった。逆に退屈な映画なら本編90分でも苦痛である。自分でも驚いたが、3時間飲み物もなしによく集中したと思う。自宅にいるときは30分に一度くらいにコーヒーだの白湯だの入れているが、集中していれば必要ないんだな。

 というわけで内容に触れないわけにはいかないので以下スポイラー・アラート。ブログ・トップ画面で表示される冒頭文章に本題が入らないように稼いだのだ。

 前作『インフィニティ・ウォー』で全宇宙の生命の半分を消滅させたサノスの所業をどうやって帳消しにし、消されたひとたちを元に戻すのか、というのが一番注目されていたところだが、その鍵はアントマンと、彼が脱出してきた量子世界にあった。アントマンは『アントマン&ワスプ』のラストで量子世界に閉じ込められてしまうのだが(量子トンネルの外で彼を呼び戻すはずだった仲間がサノスに消されてしまったから)、5年経って偶然にも脱出を果たす。しかし、彼が向こうで体感していた時間は非常に短く、時間の流れ方が外の世界とは異なっていた。量子トンネルを応用すれば時間を遡ることができ、サノスの企みを阻止することもできるのではないか。こうして悲劇から5年、アベンジャーズは再び力を合わせて最後の大勝負に出るわけだ。アントマンが大きな役割を果たしたのがなかなかうれしかった。

 時間を遡ってどうするのかといえば、赤ん坊のサノスを殺すわけではなく(この作戦はぼくも以前思いつき友達に話すも「とてもヒーローのやることではない」と一蹴されたのだが、劇中でウォーマシンことローディが同じことを提案していた可笑しかった)、かつて各地に散らばっていたインフィニティ・ストーン(サノスが使ったパワーの源であり、これまでの作品にキーアイテムとして登場してきた)を、サノスが収集する前の時点から集めて現代に戻り、消えた人々を呼び戻すのだという。そういうわけで、これまで各ストーンが登場した作品の場面へと、ヒーロー達がタイムスリップするのだが、これがちょっとした懐かしの場面集とその裏側といった感じで、2012年に飛ぶと、一作目『アベンジャーズ』での戦いの最中にあるニューヨーク、2013年は『マイティ・ソー:ダークワールド』のアスガルド、2014年の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』における惑星モラグに行くと、ピーター・クイルがヘッドフォンでレッドボーンを聴きながら踊っているのが見える、といった具合。ストーリー上自然に今までの冒険の一部を思い返すことができるくだりで良かったし、単に観たことある場面ではなく、その裏側や、違う視点が描かれるのがおもしろかった。

 すっかり和解したトニー(アイアンマン)とスティーブ(キャプテン・アメリカ)は、さらに1970年に飛び、アメリカ軍基地(シールド施設でもある)に保管されていた四次元キューブを回収しようとするが、トニーはそこで亡き父ハワードと遭遇する。正体を隠して父親と話を合わせるトニーに、ハワードはもうすぐ息子が生まれるが父親になることをどう受け止めていいかわからない旨を告白する。その当の息子であるトニーにも、今や娘がいた。彼はこのアベンジャーズの反撃に加わることを最後まで渋っていたのだが、それは彼がこの5年の間に家庭を築いていたからだった。再び失敗すれば今ある幸福さえも失ってしまうのではないかという恐怖を、彼は娘の寝顔から感じていたのだ。だからアベンジャーズが現代の時点から人々を復活させようとしたのは、5年間に起こったことを変えないためでもあった。全て無かったことにするには、5年間は長すぎた。トニーの娘モーガンのように新たに生まれてきた命はもちろんだが、その間強く生きてきた人々の時間さえも否定してしまうからではないかと、ぼくなどは思う。

 常に良好な関係ではなかったトニーとハワードだが、トニーはようやくハワードと同じく父親になり、同じ感情を共有するに至った。今までぼくはトニー・スターク、アイアンマンにあまり感情移入してこなかったけれど、今やぼくも父親である。そしてトニーと同じく娘がいる。それだけで十分だ。トニーとモーガンの父娘はもちろん、トニーとハワードの会話には熱いものを感じる。最初から親だったひとなどおらず、子どもが生まれてもなかなかその実感や自覚は持てないかもしれない。よい親とはなにか、親らしさとはなにかも、恐らく正解はない。ただ、ふたりのスタークのように探り探りで親に「なろうとし続ける」しかないのだろうと思う。

 思えば最初の『アベンジャーズ』を観た2012年の夏というのは、非常に惨めな時期だった。仕事は無くほとんど無一文で、なけなしのお金で映画を観たのを覚えている。そこまで興味があったわけではないのに、ましてや『アイアンマン』1と2しか観ていないような状態だったのに、なぜか突き動かされるように観に行った覚えがある。大方ネットで話題だったからだろうと思うけれど、話題だからといって無いお金を出してまで観る人間ではないことはわかってもらえるだろう。とにかく余裕のない頃で、その日の食事も取れるかどうか微妙な有様だった。それでも、この映画は観たい、と強く感じたのだろうと思う。それから7年が経とうとしている。とても余裕に満ち溢れているわけではないにせよ、一応人並みに生活をしている。7年前はお金も無い上にとても孤独だったが、今では結婚して子どももいる。雲の上の存在だった人たちが家に遊びに来てくれるようになった。友達もいる。怖がる必要のない本物の友達だ。

 遠くに来たような気もするが、ぼく自身はずっと同じところにいるような気もする。変わらずに夢中になれるものがある一方で、いつまでも思い出しては嫌な気分になることもある。つまりはいろいろあったわけだけれど、その年月で、自分も父親になったということが、繰り返しになるけれどトニー・スタークと重なるようだ。2008年から観てきたわけではないが、途中からでもリアルタイムで体験できて良かった。見届けられたという満足感でいっぱいだ。アイアンマンに始まり、アイアンマンに終わったところも綺麗だと思う。10年よくやってくれた。あなたはアイアンマンだ。そして、親になってから観るアベンジャーズは熱い。ぼくにもハートがある。

 トニー・スタークはともかく、たくさんキャラクターが登場するので、前からのお気に入りキャラクターが顔を出すと、まるで大勢の中に知った顔を見つけたときのようなうれしさを感じる(なんだそこにいたのか!)。お気に入りの作品、お気に入りのキャラクターは人それぞれあるだろうけれど、ぼくの場合それはスター・ロードやアントマンだった。ユーモラスなキャラクターは友達感が強い。今回スター・ロードの出番はあまり多くないけれど、復活して再登場したときはやはりうれしかった。今回はちょっとトホホな役回りだったなあ。前述のようにアントマンのテクノロジーがみんなの役に立つのもうれしかったし、ネビュラのキャラクターが深くなっていくのも良かった。カレン・ギランみたいなひとは好みだな。お気に入りのひとたちを含めて全員集結してアッセンブルするクライマックスは言うことなし。好きなキャラクターはこれからもどんどん描いていきたい。