『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(2018)

 『ハリー・ポッター』と世界観を共有するシリーズ第二作。簡単におさらいすると、ハリーたちがホグワーツ魔法魔術学校で使っていた教科書「幻の動物とその生息地」の著者である魔法動物学者ニュート・スキャマンダーの冒険を描くお話で、時代は1920年代頃に遡る(ハリーたちのお話は1990年代)。今作では若き日のアルバス・ダンブルドアが登場し、旧友かつ宿敵であるゲラート・グリンデルバルドと対立。ダンブルドアとグリンデルバルドの関係が当局に怪しまれているため、代わってニュートがその邪悪な野望を追うことになる。

 グリンデルバルドの、ヴォルデモート卿とは全く違うタイプの悪役としての確立が大成功だったと思う。出生へのコンプレックスからマグルを憎み、支配ないし滅ぼそうとしたヴォルデモートに対し、グリンデルバルドの動機は「マグルを放っておけば世界が滅びかねない」という危機感からくるものだったことが明かされる。もちろん闇の魔法使いとしての所業は正当化されないが、グリンデルバルドがみんなの前で見せた「未来のヴィジョン」は、ぼくたちマグルに嫌でも突き刺さる。彼が見たヴィジョン、それは果てしなく続く廃墟を彷徨う難民、あるいは強制収容所の囚人たち、上空を飛び去る戦闘機はセストラルよりも不気味で、しまいには全てを焼き尽くす炎と巨大なきのこ雲……このあとマグルが引き起こすことになる第二次世界大戦の様子だったのである。それを見た魔法使いたちは驚愕する。どんな魔法をもってしてもこんな惨状は生み出せないとでも言いたげな驚き。マグルは世界を滅ぼす力を持ちつつあるのだ。だからこそ、グリンデルバルドは魔法使いが彼らを管理・支配するべきだと説く。それに対し、恐らく観客たるマグルたちは返す言葉もないだろう。そういう意味で本作はスクリーンの外にいるマグルにも語りかけている。

 ここからは個人的な勝手な予想なのだけれど、グリンデルバルドの見たヴィジョンは、ほかでもないグリンデルバルドが引き金、あるいはきっかけのひとつになるのではないだろうか。ちょうど、アナキン・スカイウォーカーが自分の見たヴィジョンの実現を避けようとした結果、自分でその結末を招き、愛する人々を滅ぼし、ダース・ヴェイダーとなってしまったように。少なくとも、ぼくたちは第二次大戦が実際に起こることを知っている。だからグリンデルバルドの努力は恐らく報われない。そして彼の企みがそのままヴィジョンの実現に繋がっていくのではないだろうか。

 グリンデルバルドという名は「ハリー・ポッターと賢者の石」の時点から登場する。ハリーが蛙チョコレートの魔法使いトレカでダンブルドアを引き当て、そこに書かれたプロフィールに、「1945年にグリンデルバルドを敗る」とあるのだ。1945年。今更言うまでもない現代史のいち起点、世界大戦終結の年だ。第二次大戦を避けようとしたグリンデルバルドが、第二次大戦終結の年にダンブルドアに引導を渡されるというのは、今後の『ファンタスティック・ビースト』を予想する上でも重要だと思う。世界大戦とグリンデルバルドにはなにか深い関係が生じるのではないだろうか。

 ついでに言えば、ハリーの宿敵であるヴォルデモートは1945年にホグワーツを卒業している。ますます匂う。さらに、今作にはのちにヴォルデモートの使い魔となる大蛇ナギニが登場する。なんと、かつてナギニは動物に変身する人間、「動物もどき」であり、その正体は東洋の美女であった(演じるのはクラウディア・キム)。劇中ではだんだんと人間に戻れなくなっていくだろうということが説明され、彼女の未来を暗示させる。彼女は一応ニュートたちのパーティに加わることになるが、それがどうしてヴォルデモートの愛蛇になるのだろうか?『ファンタビ』の物語はこれらの運命が交わるであろう1945年に向かっていくのかもしれない。

 ダンブルドアの蛙チョコレート・カードに書いてある人物としては、ほかにも錬金術師ニコラス・フラメルがゲスト登場する。しかも真っ赤に輝く石も出てきて、世界観の原点を思い出させた。ナギニもそうだし、なによりホグワーツ城も久しぶりにスクリーンに登場するので、『ハリー・ポッター』シリーズへの繋がりも大きい。ちらりと登場する若き日のマクゴナガル先生がキュート。ざっと計算してみるとハリーたちが通う頃には、マギー・スミスでさえ追いつかない結構な年齢になっていたはずだが、そこはそこ、魔女だからね。猫に変身する魔女の先生が普通のマグルと同じように年を重ねるわけがない。