どこから話したものか。まあこういうことは前置きなしに結論から始めたほうがいいだろう。
飼い犬のポコが10月1日の午前3時45分に息を引き取った。13歳で、14歳の誕生日まではあと2ヶ月と少しだった。
このブログや各種SNSでも書いてきたように、今年の初頭から脳腫瘍に対しての放射線治療や、胆嚢の摘出といったことをしてきて、決して元気いっぱいというわけではなかったが、それでもなんとか回復はしていて、開腹オペ後は子豚のようにツルツルに刈られていたお腹の毛も、夏にはすっかり生え揃って手術の跡も忘れ去られていた。ただ夏の暑さだけは部屋の中にいても耐え難く、十分に外で活動できないこともあってか体力や体重が減り、後ろ足の麻痺も本格的になってきたので車椅子をオーダーメイドして少しずつ動くようにしようと思った矢先、結局涼しくなるのを待たず逝ってしまった。夏を乗り越えるだけで力の限界だったのかもしれない。6月の検査では特に懸念するものはなかったので、急性的なものと見られる。いろいろ抱えていた症状はあったものの、それでも急にガクッときた印象だった。老犬だし、なにがあっても不思議はない。勝手な想像で、言い訳にしかならないが、その通り、勝手に想像して言い訳するしかないのである。いつ終わるかわからない苦痛が去ったことだけは確かだろう。最後は妻の腕の中で眠るようであった。荒かった呼吸は控えめになり、間隔が伸びていき、ついには動かなくなった。本当にあっという間のことだった。
動物が事切れる瞬間は初めて見た。ましてや10年にも渡ってぼくのことを澄んだ眼で見つめてきた動物の死である。死後硬直の速さにも衝撃を受けた。午前4時頃、次の回収日を待って畳まれていたAmazonのダンボールで簡易的な棺を作るため、近くのコンビニでガムテープと多量の氷、ビニール袋を買った。あとで思えば相当に怪しげな買い物だったが、深夜シフトの不機嫌そうな店員はなにかを気にする様子もなかった。まあ、仮に怪しまれても怪しまれたのと大して変わらない用途のためなのだが。
そういうわけで今週は落ち着かず、あっという間に過ぎていった。その間に締め切りをふたつやり過ごしているのだが、仕事でもしなければ気が紛れないのも事実だった。自分でポコを選び、子犬の頃から世話してきた妻にしても、羊毛フェルトで飼い犬を模した物をちくちく作る作業に没頭することで正気を保っている。以前、ポコの先が長くないことがわかった頃、妻は急速冷凍法による剥製(剥製というよりはエンバーミングに近い)のことを調べていたのだが、いざ現実になってみると、本来そういうのが好きな(?)ぼくの方があまり乗り気になれず、またべらぼうにお金もかかるのでやめておいた。いざというところで凡庸な理性が働くのがぼくの長所でもあり半端なところでもある。ポコは去ってしまったのだ。彼だったものをフィギュアにして置いておいても仕方あるまい。月曜日には幸運にも見つかった手厚い施設で丁寧に火葬され、今はそれなりの大きさの骨壷におさまっている。
だが手で触れられる、形あるものとして残ってほしいという気持ちはわからないものではない。ぼくにとっては10年間常にそばにいて、いつでも触ることのできたものが突然いなくなってしまったという事実は時間が経つにつれだんだんと重量を増し、ゆっくりと喪失への実感となってきている。とぼけた足取りでゴミ箱を倒されることはなくなった。開けっぱなしにしたドアをくぐって部屋に入ってきて床に積んであるもの(積むな)を崩されることもなくなった。寝ているときに頭を踏まれることもなくなった。排泄のタイミングを気にすることもなくなった。餌と投薬の時間を気にすることもなくなった。器に残っている水の量を気にすることもなくなった。そしてもちろん、頭を撫で、肩周りの毛皮をわしゃわしゃやり、クマのようにたくましくずんぐりした前足を握ってやることも、できなくなった。あるべきものがない。妻の実家に預けるとか、入院するとか、そんな一時的な不在ではない、完全にいないという状況を、この家で過ごすのは初めてのことで、だからあまりにも現実味がない。
この家において初めてなだけではない。妻との関係において、犬がいないこと自体が初めてのことである。ゼロ年代最後の年の終わりに、そもそも妻がその犬を迎えたのは、その頃すでに病に侵されていた当時の恋人との間に、未来においても繋がりをつくるためだったという。彼は間もなく亡くなるが、短い間にも関わらずその犬は彼を飼い主のひとりと認識し、辛抱強く帰りを待っていたという。当時列島の真反対側で気楽に生きていた18歳のぼくには知る由もない。ないが、他人の人生とは想像を絶する。そこにぼくが立ち入る余地も資格もない。しかし、初めて妻と知り合い、またその足元になんとも珍妙な生き物がいるのを見て、その物語を引き継ごうと決めた。初めて会ったときのポコはだから3歳で、立派な成犬。すこぶるパワフルであった。
今やそのポコも元の飼い主のところへ行き、妻はいち時代との繋がりをなくしたという意味では独りになってしまったのかもしれない。思い出の品と呼べるものも経年劣化や、不注意な夫によって割られたりして減っている(マジでなんなのお前は)。ぼくと娘には記憶の補強もできなければ、その代わりを務めることもできないだろうけれど、今いる家族として空いているところを違う形で埋められたらと思う。ぼくなど途中から新登場したジャー・ジャー・ビンクスのようなものかもしれないが。
ポコが老犬と呼べる域に入って、目に見えて介護が必要になってからは娘に我慢ばかりさせてきた。いかんせん皆一緒に入れるところは限られてくるから、アウトレットやらなんやら、ぼくがポコと一緒に外で待つなどという光景はお馴染みだった。娘が果たして親子3人でいろいろなところに行きたいと思っているかどうかはわからないが、出来なかったことをして、構ってあげたいと思う。
いろいろ思うことはあるが、今はただ緊張の糸がゆるむか切れるかしたような状態で、一挙にいろいろなことをする必要がなくなってしまったので、かえってなにもする気が起きないような感じだ。ポコほどではないにせよぼくと妻もそれなりに疲弊していたから、どっと疲れが出てきくることだろう。うまく休息が取れればいいのだが。いや、それともやはりなにかに没頭する方が合っているのか。とにかく、犬の足音がしない家の中が不自然で、不思議な感覚である。その存在感が本当になくなってしまった。今にどうしようもなく恋しくなり、次の行動を取ることになるのかもしれないが、それはまだ当分先のことだ。まだまだポコは嫉妬で不貞腐れる距離にいると思っている。大丈夫だよ。
ぼく自身は子犬のしつけなどしていないのだが、とても十分に世話が出来ていたとは思えない。かなりいろいろな始末が雑だった記憶が鮮明だし、それこそ我慢をさせることも少なくなかっただろう。ぼくの余裕のなさはきっと悪い影響を与えている。もっとこうしてやれば、と思えばきりがない。でも、夜中に行けるところまで行こうと一緒に歩いたときの感覚は忘れないだろう。その眼にぼくの顔が映っていたことは忘れないだろう。野生の本能などとうに忘れ去り、ぼくの腕の中でお腹を見せて、動物としてあろうことか熟睡していた姿も、ある日ひとりでお風呂に入っていたら、ついでだからと妻が湯船にポコを投入してきたときのことも(未だに強烈な奇行だ)、覚えていることだろう。それらを忘れるときが来たなら、ぼくの頭上にも猛禽類が旋回している頃だ。
その眼を通して、ハリー・ポッターが描写したところのヘドウィグの眼差しを理解したものだ。一切の余談や疑いのない、澄んだ瞳。5歳の娘でさえぼくのことを怪訝な顔で見ることがあるというのに。途中から現れたぼくのことを認めてくれて、受け入れてくれてありがとう。
安らかに眠れ。