いいところ

 意外に思われるかもしれないが、ぼくはそこそこ自分の仕事が好きである。嫌なことが全くないと言えばもちろん嘘になるが、それでも究極的なことを言えばとにかく描けばいいのであって、付随する細々とした問題や悩みは尽きないにせよ、ものすごく引いて全体を見れば、これほど自分にとって楽なこともないと思う。他にできる仕事がほとんどないというのが実情ではあるのだが。
 子どものスイミングを週末の午前中に振り替えたので、それを見送ったあと、迎えの時間までチェーンのコーヒー店で過ごすことにする。モーニングの時間に間に合うのでコーヒーひとつにパンをつけてもらう。パンに塗るのはあんこである。実はこういう飲食メニューの細かい描写は書くのも読むのも好きではない。食べ物の描写を生活感だと思い込んでいるやつの多いことよ。だいたいそういうのは献立がやたら凝っていて逆にリアルさに欠ける。パンにあんこを塗ればいいのである。パンの種類さえ書く必要がないが、あえて言えばブールである。
 席に着いた瞬間から隣席が騒々しいことには気づいていたが、単純な友人同士の世間話ではないことがだんだんわかり、なんとなく注意を引かれる。この状態で必死こいて雑音を遮断しようとしても、本の内容は半分くらいしか入ってこないので、あえてジョージ・スマイリーの孤独な探索の様子をスローモーションに切り替え、雑音を意味のある会話として拾えるようチューニングしてみる。いや、そんなことせずとも聞こえてきてしまうので仕方がない。これは自然と耳に入ってきたものである。
「別に難しく考えることはないよ、そのままのことを書けばいいだけだから」
 テーブルの上になにか用紙が置かれており、向いに座る相手がその上にかがみ込んで読んでいる。
「はい、いや、ええ、もう」
「それとも、なにか気になる?」
「いやあ、ええ」
「今の職場のこととか?」
「あ、ええ、はい」
「もう何年くらいになるの?」
 相手が勤続年数を答える。
「そうかあ、いやきっとあなたは優しいんだろうなあと思ったよ。だって、自分で言うのもなんだけど、こんな好条件なかなかないもの。自分だけいいところ行っちゃうのもねえ」
「いや、本当にそうで……やっぱり人間関係が出来上がっている中でずっとやってきているので」
「優しいのねえ。私はあなたのそういうところがとてもいいと思ってる。だから本当にうちに来てほしい」
「いや、もう、本当にありがたいお話で」
「今は朝何時くらいに出てるの?」
 相手が時間帯を答える。調子に乗ったときのぼくが就寝するような時間だった。
「開店までにしなければならないことを考えるとそれくらいに出なければいけなくて、そうすると起きるのはもっと……」
「えー、馬鹿じゃないの?」
 勧誘者は両手を頭の後ろにやって背を反らし、嘲笑気味に言った。「はっきり言ってそれをこの先いつまで続けられるのかという話よ」
「いや、本当にそうで」
「あなたの歳では、これから先生活ががらっと変わってしまうタイミングがいろいろあるわけよ。そのときに同じことが続けられるのかという話なんだわ。私がこの業界に入ったときには」
 以降個人的な話が続く。要するにこのひとは生活がいろいろと慌ただしい時期にあっても仕事の方にもなんら支障がなかったという旨のことを言いたいらしい。
「本当にうちは自由だから。来るのはこれくらいで、帰る時間もそのひと次第だから。うちの若い子なんて、お昼食べに行ってしばらく帰ってこないなと思ったら、ちょっとだけ顔を出して『今日はもう帰ります』なんて言ってそのまま帰っちゃうんだから」
「ええ」
「本当よ。それが出来るところなんだな。だから絶対来たほうがいいんだって。だからそれを早く書いてしまおうよ」
 双方の視線が再び用紙に落ちる。記入者の手は依然ほとんど動いていない。
「もちろん仕事だから、嫌なこともあるよ。私はここまで別にいいことばかりは言っていないつもりだけど、でも本当にこれだけいいところだから、本当のことだからこう言うほかないんだよね。一度辞めていった子たちがまた戻ってくるほどなんだから、本当に」
「戻ってくるんですか」
「そう、よそへ行っても結局は戻ってくる。もうほかのところではダメなんだろうね。それくらいいいところなんだよ」
 死んだ人が戻ってこないのはあの世がいいところだから、みたいな言い回しを思い出した。
「いやあ、思ったより時間が経っちゃったな。ついついしゃべってしまう」
「あ、すみません」
「いやいいのいいの、普段ここまで話すことはなかなかないんだよね。あなたとは波長が合うんだろうな。きっといい仕事ができるんだろうな。あなたのことは私から支店の方に伝えておくから。きっと大丈夫」
 とまあこんなところである。なんの仕事をするなんの会社に引き抜こうとしているのかすごく気になったのだが、わかりやすいヒントを得る前にスイミングの迎えの時間になってしまった。結局ぼくが席を立ったあともその具体性のない会話がしばらくは続いたのだろう。もしかしたら「いや、本当にそうで」のあの人はなかなか用紙の記入を進めなかったかもしれない。相手の魅力的な話についつい気が行って筆記具が宙に浮いたままだっただけかもしれないが、しかしあの、勧誘者が延々としゃべるわりには頑なに話が前に進まない様子は、なにかの抵抗力を感じたりもする。本当のところはわからないが。
 最初こそ怪しげな勧誘ではないかと思い、業務内容がまるで見えてこない話から余計にそう感じたりもしたのだが、かろうじて聞き取れた用語をあとで検索してみると、なんのことはない、この国の人間なら誰でも目にし耳にするような企業がヒットした。というか、ざっと見てそこしか出てこないほどなので、業界用語どころか企業固有の用語とすら言えるのかもしれない。
 だから別にあの話自体は悪い話ではなかったのだ。話の輪郭がぼんやりしていたのは、部外者が急に聞き耳を立てたからにほかならない。現実の人間の会話というのは、すでに互いが了解している前提についてわざわざ何度も口に出さないものである。現実では電話口で「なに、45丁目で殺人?で、犯人は……赤の69年式ポンティアックGTOで逃走中だと?」みたいなことをいちいち復唱しないのと同様。
 ただし、会社や仕事が至極真っ当だろうがなんだろうが、ぼくはあの勧誘者の口ぶりはあまり好きにはなれない。あの席に着く時点までにふたりの間にどのくらい交際があったのかは知らないが、決して深くはないだろう。「きっと優しいんだろうな」などというつけ入るような根拠に欠ける褒め方がまずぼくの中でアラートに触れるし(「波長が合う」なんていう台詞もぼくにはかなり警戒すべきものだ)、そのすぐあとでやや割に合わないハードな仕事をしている現状に対して「馬鹿じゃないの?」と来る。好条件の仕事を紹介する上で今やっている仕事をけなすのは、どうもぼくの中にも辛うじて脈打ってるクオーターサイズの心が、あまりよくないことだと感じるらしい(もっとも、その人を助け出さなければならないような職場というのもあるのだろうが、しかし少なくとも今現在の相手の状況を馬鹿呼ばわりは褒められたことではない)。なにより、優しいと評したのも、馬鹿じゃないかと嘲笑したのも、相手の仕事に対する健気さという、全く同じものに対して放ったふた通りの言葉なのだ。確かにそのふたつは矛盾さえせずに同時に印象として抱けるのかもしれない。だが理屈は抜きにして、なあんか気に入らない口ぶりだった。
 自分はいいことばかりは言っていないとも言っていたが、ぼくが聞いている限りはいいことしか言っていない。だからこそ怪しさを感じたのだ。やたらと「いいところ」という漠然とした言葉が繰り返されるのも不安を覚える。もうちょっと言い方がないのだろうか。「いいところ」なんて、むしろ安っぽく感じるのだが(「いいとこのお坊ちゃん」「いいところ連れてってやろうか、ガハハ」などというセリフを連想してしまう)。
 実際、いいところと言える職場はたくさんあるのだろうし、楽だと言える仕事もたくさんあるのだろう。最初に書いたように、なんだかんだぼくも自分の仕事を自分にとって非常に楽なものだと感じている。だから別に、隣席から突然「そんなうまい話があるか!あなた、騙されてはいけない!」などと言い出すことはないのである。どちらかと言えば、その話大丈夫か?というよりは、その人にいろいろ任せて大丈夫か?という気持ちの方が大きい。それに、あまりいい話ばかり聞かされては、実際に勤めてみて初めてわかる微妙なストレスが、かえって期待や想像との大きなギャップとなって必要以上のダメージとなることもある。そうなると、やはり話としてうますぎるということになるのだが。
 転職の選択肢があるというのはどういう感覚、視界なのだろうかと、考える。ぼくにはほかに出来ることはない。いや、その気になればやれることはいろいろ見つかるかもしれないが、その過程で受けるであろう本来不必要なストレスを考えれば、やはりそれは出来ないことなのだろう。したい仕事が出来るようになるまでにアルバイトをしたことはもちろんある。毎日フォトショップを触った映像制作の現場でのバイトを除けば、あとはどれも金銭とストレス以外に得たものがほとんどないものばかりだ。だがその時間の使い方が無駄であるとか馬鹿であるとか、そんなことは思わなかった。むしろ人並みにバイトしているという感覚がかえって得意であった。そこはおそらく金銭より大きい。
 結局のところできるかできないかというよりは、仕事を変える必要が全くないというわけである。もちろん同じ位置で甘んじるつもりは全然ないし、やり方はこの先も変わっていくだろう。絵でなく文章で金銭を得る機会もなくはない。しかし、大きな枠の外に出ることはない。それはもしかしたら外の世界を知らないまま生きていくことを意味するのかもしれないが、しかし専門職というのはそういうものではないか。業界というのはよくも悪くも内向きである。それはまあいい。
 転職というのも、全然違う業種に移る場合もあれば、同じジャンルの中で会社だけ移っていく場合もあるらしい。どちらにせよ景色をがらりと変えるタイミングがいくつかあるというのは、どんな感じだろうなと、羨ましいというほどではないが思うのである。
 柄にもなく知らない人の人生について考えすぎた。話も聞きすぎた。少しでも迎えが遅くなるとプール上がりの娘が巻き巻きタオルにくるまったまま待たされることになる。席を立つとき、最後までぼくに好印象を与えることはなかった勧誘者を一瞥する。今ではほとんどなにも覚えていないが、ひとつだけ、足首にミサンガが巻いてあった。やはり苦手である。