『スター・ウォーズ:最後のジェダイ』(2017)

この年末は妙に忙しく12月15日もその日締め切りの仕事に前の晩から取り組んでおり、早朝にそれらを送り出してから一旦眠り、午後になって飛び起きて映画館に向かったわけで、非常に頭がぼんやりとくたびれていたのだけれど、そんなところにこんなとんでもないレーザー・ビームのような映画を見せつけられては、もはやぼくの脳みそは処理が追いつかない。
 だから、鑑賞間もない今はまだ自然と感想もとりとめのないものになってしまうかもしれない。実際、観た直後にノートにめちゃくちゃに書き散らしたものを今参考にしようとしても、ほとんどなにを言いたいのかわからない感じである。ただ、すごい興奮していることが伝わってくる。

 とにかく胸がいっぱいだった。これまでで最もフラットな気持ちで観ることができたSWでもある。事前の考察を全くしなかったわけではないけれど、それでも積極的に予告編でわかる以上のことを調べようとはしなかった。と言うのも、前作の『フォースの覚醒』の際にあまりにも調べ、考えすぎたからである。
 そのおかげか、全く予想のつかないストーリーを大いに堪能できた。金曜日に観て、帰宅してから前述のようにノートをとり、あまりインターネットを見ることもせず、自分の中だけで感動を増幅させていった。土曜、日曜もまだ余韻が残っており、思い返してはうれしくなってため息をつき、始終ニヤついていたので妻から大変気味悪がられた。
 未知のSWを観ることがこれほどまでに楽しいのかと、驚き、感動した。これもことあるごとに言っていることだけれど、オリジナル三部作の前日譚であるプリクエル三部作世代のぼくにとって、先のわからないSWを観られることはこの上なくうれしい。だって、先がわからないのだから。

 なにより情報量が多い。キャラクターが多い。展開がめまぐるしい。スピードがある。それでいて全く収拾がつかなくなるということはない。
 新しい『帝国の逆襲』として観ることはできるし(もっと言えば『ジェダイの帰還』要素も強い)、同じシリーズとして他エピソードと通じる部分も少なくないけれど、そこまでテンプレートに沿うこともなく、全く新しいストーリーを見せてくれたと思う。SWにおいては新しい演出、美しい画作り、シリアスの中にほどよく挟まれるユーモア、ダークさとポップさ……物語として非常にバランスが取られている。

 バランス。それは本作のテーマでもある。光と闇、善と悪の境界が曖昧になり、絶対的な正義として信じられてきたジェダイさえ過去の遺物であることが示される。光があたるぶん闇も深くなるというルークの言葉はとても印象的だ。まるでその言葉が言い表すように、レイとカイロ・レンは拮抗する。そうしてレイは闇に、カイロ・レンは光への誘いに心を揺さぶられ、いつしかふたりの間に奇妙な絆が出来上がる。

 ふたりが交信をするときの演出もおもしろい。その場に互いの姿が見え、互いの感触が伝わり、互いがいる環境さえ伝わってくる(雨が降る中にいたレイと交信した際に、宇宙船の中にいたカイロ・レンの顔が濡れるのだ)。表裏一体のふたり。ふたりの関係は非常に興味深い。
 山場である共闘もとても熱いけれど、最終的にカイロ・レンはファースト・オーダーの新たなリーダーになることを選ぶ。かつてダース・ヴェイダーが皇帝を倒して自分が支配者になろうとしていたことを考えると、ようやく祖父に代わってそれを成し遂げたかのように見える。その点では彼はかの暗黒卿を超えたわけだ。もちろん、レイはそんな彼にもう手を差し伸べることはなく、拒絶する。カイロ・レンからの交信を遮断するレイの心境が、ミレニアム・ファルコンのタラップが閉じられることで表現されているのもとてもよかった。それは父親の船からの拒絶でもあるのだ。
 
 レイの出自が明らかになることで、このふたりの間にはもうひとつの構図が生まれる。特別でない者と特別な者だ。一方は名もない貧しい人々から生まれた孤児であり、もう一方は空を歩む選ばれし血筋を引く。前者は愛されず、後者はきっと多くの期待を背負って育ったはず。しかし、今では逆だ。どこの馬の骨とも知れないレイが愛と期待を受け、伝説のスカイウォーカーの血を引くベン・ソロ——カイロ・レンは深い闇に落ちた。
 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』で、主人公の父親が実はとんでもない化け物で、育ての親の方が本物よりも親らしかった、という展開が非常に魅力的だった。SWに代表される血統主義的な物語に対するカウンターのようでとても今っぽく感じられた。これを先にやられては、もうレイの出自が結局ルークの子供だとか、そんなんじゃ絶対ダメだと思った。他の物語がどんどん新しさを得ていく中で、まだSWは血統の物語にこだわってしまうのかと。確かにSWのサーガは同時にスカイウォーカーのサーガでもある。しかし、それだけではない。それだけではいけない。もっともっと物語に広がって欲しい。
 そもそもぼく個人はあまりSWを血筋の物語というふうには捉えていない。そこにあまり還元したくない。まずルーク・スカイウォーカーという主人公がいて、それからその父親の物語を明らかにしていった、というだけであって、別に家系図を追っているわけではなかろう。正直、たった親子二代で血筋もくそもあるかと思う。
 果たして、新しいSWは血統の呪縛から離れた。もちろんスカイウォーカーの物語もまだ続いている。今回のスカイウォーカーは闇に落ちたベン・ソロだ。そして彼に対抗するのが、特別でない人々、名もなき人々代表、レイ。もしかすると今後、レイがベン・ソロを救うという展開があるのではないだろうか。だって、そうすれば特別でない人々がスカイウォーカーを救ったことになる。これまでのお返しのように。そうだったらとても優しく、美しいと思う。

 フォースはジェダイのものではない、というルークの言葉は同時に、フォースはスカイウォーカーのものではないと言っているようにも思える。それに呼応するかのように、本作のラストではリゾート都市で働かされていた少年が、なんとフォース感知者であることが示される。ルークの「最後のジェダイは私ではない」という言葉は、まだレイがいるということを指しているのと同時に、まだ銀河のいたるところにフォースに目覚め、可能性を秘めた人々が大勢いるであろうことを示唆しているようにも思えてならない。スカイウォーカーだけがフォースの申し子でないのだ。

確かに今までの神話感とは変わる。しかし、こうして物語のスタンダードが崩され、作り変えられると思うとわくわくするものがある。今までにない雰囲気に戸惑うひともいるだろうけれど、予想の範疇で作られてもおもしろくないだろうと思う。
 これまでのSWの、なんとなくあったルールを壊し、誰も思ってもみなかった形に再構築していくからといって、決して今までの神話が否定されるわけではない。むしろ今までの作品があるからこそ、こうして新しいことができるのだ。そうして、新しいものが古いものを際立たせもする。
 いずれにせよぼくは、オリジナル三部作の呪縛から解き放たれ、真の新しさを持ち始めたSWを応援したい。物語は、神話はそうして更新され、続いていくのだと思う。