ここ数年というもの、仕事でもプライベートでも紙に絵を描くということがまるで出来ていなかったが、最近なんとか感覚を取り戻せてきた。デジタルで描けるものの可能性は計り知れないが、やはり紙に直に描いて形に残せるのはいい。快感とも言えるかもしれないが、なにより安心する。デジタル描画がよくないわけでは決してないが、なにかこう、自分は本当に絵が描けるのかどうか、デジタルによる補正や無限に近い色彩、いくらでもやり直しのきく環境なしにはもう描けないのではないか、という不安が常にあった。それなら合間合間に練習しろと思うのだが、うまく描けないということもまた不安であり、不満がたまる。うまく描ける方法を取っていればとりあえずその場では気分がいいので、ついついそっちを取ってしまう。
しかし、今年になってからできるだけ、ちょっとしたものでも紙に描くようにしてみようと思ってみると(そこまで厳格なルールではない)、嫌でも描かなくてはならないので、だんだん慣れてきた。というかいろいろ思い出してみた。一旦思い出してみると、こんなに楽しいことはない。失敗や不安定なところもあるが、緊張感や偶発性みたいなものがあるし、直に触れるものが残るのは大きい。
ふと世間を見渡してみると、人工知能による画像生成が格段に進歩し、興味と不安の両方が掻き立てられているらしい。僕は危機感が薄い人間なので、その手のものに不安や警戒心はあまりないのだが(SFが好きな人間としておそらく期待の方が大きいのだと思うが、まあそんなふうに構えられるのも自分がそれによる被害を被らないうちだろう)、強いて人間の利点を挙げるのであればそれはこちらが物理的な存在で、物理的なものを作れるというところだろう。つまりはデジタルという同じ土俵にいるからこそ、人工知能(とそれを無神経に応用しようとする連中)とまともに対峙しなければならなくなるわけで、それを目の敵にしたり極度に恐れるのであれば、制作環境も発表の場もデジタルから実空間に移し、肉筆による作品を作り、それを直に見てもらう場に重きを置けばいいのではないか。平面的なものであるところの絵を、極力物理的な実物にできれば、付加価値は大きく、当然おいそれとコピーを生成するのも難しい。まだしばらくは人間の方が有利な領域である。
いや、そもそもぼくはこういう人間とロボットのどちらが優れているのかとか、どうしたら勝ち目があるのかとかいう話は、あまり好きではないので(もちろん技術の用法については考えるべきだが)、これは有利であるとか不利であるとかいうよりは、それぞれの特色と呼びたい。
別にぼくがまた紙に描き始めたのはそんな理由ではないのだが、至極当たり前で基本的なところに本質的なものを感じるのだった。まあ、デジタル描画の出力に、より一層きめ細かい技法や手触りのようなものを加えられたり、ロボットアームによるアナログ描画によって今現在自動生成されているようなレベルの絵画が描けるようになった日には、ついにロボットペインターが誕生するわけだが、それはそれでわくわくしてしまう。