やりたいこととやめたいこと

 今年はちゃんと日記をブログに書こうと思いつつ、もう五日も経ってしまった。年末中にサイトをいじってレイアウトを変えたのだが、気づいていただけただろうか。ワードプレスをやめて他のものを使ってみようかとも思ったのだが、WPにも最近ベータ版のデザインエディターがリリースされたようで、それを触ってみたら、結構思うようにいじれたので引き続き使うことにした。イラストや仕事がひと目で複数眺められるグリッドデザインにこだわっていたが、よくよく考えてみたらそれほど見やすくはないことに気づいたので、単純に1カラムで上から下へひとつずつ流れていく形に整えた。全端末で同じように見える。グリッドにこだわっていたのは、1ページに表示できるものが多く、過去のものが簡単には流れていかないためだったのだが、1カラムでも載せるものを絞ればその心配もないのではないか。とかくぼくは更新頻度が高すぎる気がする。ちょっとしたものはSNS上に任せて、サイトはもう少しまとめておきたい。
 その代わり、ブログを書こうと思う。個人的な書き物は依然続けているが、やはりひとの目に触れるものを書く習慣はなくしたくない。机の上のノートは誰も読む心配がないため、ついつい(というより意図して)思うままを書いてしまう。不平不満はもちろんおぞましいことも書き連ねている。とてもではないが、綺麗にレタリングされた頭文字から始まり、素敵な装飾が描き込まれたり、洒落たコラージュが入ったような、見せるためのノートなどぼくには作れそうにない。ぼくにとってノートは思考や感情の整理のためのものだ。だから、やはり人目に触れる前提の日記も書く必要がある。
 ほかにもやりたいことはあるのだが、それよりは今年やめたいことのほうが先に思い浮かぶ。ファンアートの類を減らしたいのだ。映画のレビューの仕事も多かったから、ファンアートはぼくの活動と深く結びついているところもあったし、興味関心を表現する手段ではあったのだが、しかしそれにしてもあまりにも描きすぎていたと思う。いいものもいろいろ描けたと思う。だが所詮はひとの作ったものを借りているだけで、うまく描けても自分のものにはならない。いつまでもなにかが満たされないのはそのせいだろうと思う。
 映画は楽しいし、おもしろいものはおもしろいと言いたいし、イマイチなものはイマイチ、違和感があればそうはっきり言っていいものだと思うのだが、しかし、そればかりやっていても仕方がない。なにかを評してばかりいるのは気分的にもよくない。自分自身が作りたいものがどんどん遠くへと流れていく気もする。
 ファンアートを完全にやめはしないだろう。好きなものを取り入れる方法はいろいろある。気が向いたらまたいくらでも描くだろうし、仕事で公認のもと好きなキャラクターを描く機会などが巡ってきたら、それはもう最高だ。そもそもこんなことはいちいち表明する必要もなさそうだが、こう書いておくことで実践せざるを得ないようにした方が、自分の場合はいいように思う。
 やめたいことは結局はやりたいことに通じてもいる。ファンアートを減らすとなれば、あとはもう自分の思いつくものを描くしかない。そうすることで、もう少し新しいものを描きたいと思っている。なにかを見つけられればと思うと同時に、もうとっくにそれは自分の身についているとも思えたりもするのだが。