15年間間違えていない電話

 携帯電話を買ってもらったのは高校進学時なのだが、それからかれこれ15年間、思い出したような頃合いにかかってくるのが、Hさん宛の電話である。もちろんぼくはHさんではないので、これは間違い電話と言えるのだが、15年間複数の相手からHさん宛の電話が時折かかってくることから、相手は番号を間違えていない。つまり、ぼくの電話番号というのは、かつてHさんが使っていたものなのだ。
 電話の内容は、興味がないのと、毎回「またか」という気持ちで聞き流しているので正確なところはわからないのだが、どうやらマンション購入やらローンやらの関係の話らしい。何度か相手の口上(こちらが相槌ひとつ打たなくともよくペラペラとしゃべるものだ)をじっと聞き取ろうとしたことがあるのだが、早い段階で自分の頭の中で聞こうとする、理解しようとするスイッチみたいなものが切れてしまい、ほとんどなにを言っているのかわからない。余計な言葉を削ぎ落としていくと、どうやらマンション物件を売り込もうということらしいのだが、いやまったく装飾過多のロココ調みたいな口調なので要点がわかりづらい。もっとも、わかったところでそれはぼくに向けた話ではなく、15年以上前にこの電話番号を使うことをやめたHさんに向けられたものなのだが、彼ないし彼女が電話番号を変えた理由もこの執拗な、毎度違う番号からかかってくるセールスの電話から逃れるためだったのだろう、大方は。そしてかれこれ15年経った現在に至るまで、代わりにぼくがそれを被ることになったのである。
 全くHさんという人は一体なにをやらかしたのだろうか。怪しげな、少なくとも夜の9時頃に携帯番号からマンション購入についての要点のわかりづらいセールスの電話をしてくるような、あまり上品そうでない業者を通して、マンションを買ってしまったのだろうか。そのために、やはり時間帯を選ばず、こちらの言葉を待たずに言いたいことを延々まくしたてるような業者を通してローンを組んだのだろうか。いずれにせよあまり良い買い物ではなさそうである。Hさんが一方的になにかの被害に巻き込まれた可能性もあれば、Hさん自身が自発的にそのような取引を繰り返しては番号を変えるという日常を送っている可能性もある。とは言えかかってくるのは別に支払いの催促であるとか、債務の取り立てではなく、あくまでセールスの電話なのだから、まあ案外Hさんは一度なにかの折に微妙な窓口を通してマンション購入を検討してしまっただけかもしれない。ところがそれから延々と不要なセールス電話がかかってくるようになり、耐えかねて番号を変えたという、ただそれだけの話なのかもしれない。その後もその番号は業者の間を延々と巡り続け、今なお脈のありそうなひょうてk、いや、顧客のリストに載っているのだろう。いや、マジで迷惑な話である。
 あるとき、あまりにもうんざりしたので、この番号はどこで知ったのかと、ペラペラと喋り続ける相手に尋ねたことがある。そのときの相手は「お客さまの番号は超一流ビジネスマンのリストに載っているのです。このお電話は本当に限られた、選ばれた方にしかおかけしておりません!」と言った。ぼくは超一流のビジネスマンどころか、ビジネスマンだったことはないので、まあこれもHさんがそうだというのだろう。そして、このことからHさんが本当の超一流ビジネスマンではなさそうだということはなんとなくわかる。超一流ビジネスマンはこんな軽薄な業者に番号を知られることなく生きているはずだから。ちなみに、このときの電話はこちらがHさんかどうかは確認せずに話が始まっている。そういう場合も結構多い。開口一番「いつもお世話になっております」という決まり文句を発することで、ぼくのような単純な人間の耳を引き留めてしまうという寸法である。こう言うからにはいつもお世話している相手だろうと思ってしばらく聞いていると、ずるずると話が続いてしまうのである。なんと狡猾なやり口であろうか。ほとんど詐欺である。で、こういうこちらが誰でも構わないというスタンスの電話も、まあ恐らくはHさん経由のものだろうと思う、内容的に。
 最後にHさん宛の電話を受けたのは先週のことで、それは結構久しぶりではあったのだが、すかさず自分はHさんではない旨を告げるやいなや、「今お電話口にいらっしゃる方にもぜひご紹介したいマンションの情報がありまして」などと言う。つまりは相手が誰でもいいのである。そのときふと思った。これはもうHさんに向けられた電話ではない。今この番号を使っているぼくに向けられたものなのだ。15年間この種の電話がかかってきて、その都度この番号を前に使っていた人間を恨んだものだが、15年経ってみてようやくわかった。もうこの番号はぼくのものであり、かかってくる電話もぼく宛なのだ。向こうは相手がHさんかどうかなど、構いやしないのである。この番号を誰かが使っていればそれで十分であり、そいつに電話をかけることが目的なのである。だからやっぱり、これは間違い電話ではなかったのだ。