歯医者を変える

 少し前から左側の前歯に鈍痛があったのだが、だんだん歯茎にも違和感(痛みというよりはムズムズした痒み)が出てきたので最後にかかった歯医者に行ってレントゲンを撮ったところ、根の先端が腐って膿がたまっていることがわかった。前に虫歯を治療をした歯なのだが、被せ物をしたところから菌が根へと広がっていったらしい。思えば副鼻腔炎をやったときの重たい感じに似ていたので納得である。もちろん神経も死んでいるので、穴を開けて中を綺麗にし、薬を入れてまた蓋をしようということになった。それで3回ほど通っていたのだが、いかんせんその歯医者、30分程度しかやりたがらないようで、いつも中途半端に中をひっかかれて帰され、その後がやたらと痛かった。それも2日くらいすると引いてしまうので、耐えられないほどではなかったのだが、先々週末、ついに強烈な痛みを覚えのたうちまわることに。ところがいつもの歯医者、日曜は休みである。2日ほど耐えれば次の診察日なのだが、とても半日も待てそうにないし、こうも痛いと他のことがなにも手につかない。寝ていても痛くて埒が明かない。治療を進めていたのになんで途中でこんなことになるのか。やはり毎回ちょっとだけやってすぐ仮蓋をしてまた来週という繰り返しなのがよくない。物事のプロセスがあるのはわかるし、今なにをしているのかもわかるのだが、今どういう状態になってきてこれからどういう見通しなのかも説明されないので甚だ不安である。だいたい前にかかっていたときもそういう不満があったので、今度歯がどうかしたら違う歯医者にしようと思っていたのだった。ところがいざ歯がどうかするときというのはそういう余裕がないので、ついつい最後にかかっていたところに行ってしまうのだ。今回の治療を始めて3回ほど通ったあとだったが、こうなっては仕方がない。というわけでその日やっている歯医者に行くことになった。
 駅ビルに入っているその小綺麗な歯医者に行くと、時節柄か診察台に備えられている40インチはありそうな画面でエディ・マーフィ主演の『ホーンテッド・マンション』を流していた。随分久しぶりに観たが、レントゲンやCTの結果が画面に映し出される以外の合間に観ているだけでも、あまりおもしろくないのがわかる。アナハイム版とオーランド版(東京版と同じ)の折衷のような屋敷の外観も中途半端だし、肝心のゴーストのキャラクターもいまいちである。エディ・マーフィの振る舞いが笑えるのがせめてもの救いだが、それも別に全体の雰囲気に合っていない。そのあえてのミスマッチさでおもしろさを出そうとしたのかもしれないが、いまいち効果が出ていない印象。すだれ柳が沼に覆いかぶさっているような南部アメリカ(実際にロケ地もルイジアナだったらしい)のゴシックホラー感を出そうとしているのはわかるが、それならもう少し屋敷やその土地のバックグラウンドをより詳しく語るか描くかしたほうがよかった。自分の歯列のCT画像と、リック・ベイカーが担当したという骸骨だかゾンビだかが交互に映されるのはおもしろく感じた。
 問題の歯の根の状態としては非常に炎症を起こしているので、いずれにせよこれが沈静化しないことには処置が難しい。ということは2日ほど耐えて元々かかっていた歯医者に行っても仕方がなかったどころか、もしかしたらこのまま処置を続けられて悪化したかもしれない。その日はとりあえず抗生物質と鎮痛剤をもらい、次の予約を取って終わった。本当はすぐにでも仮蓋を外して中の膿を抜いて欲しかったが、仕方がない。医者の言う通り、もらった分の薬を全て飲み終える頃には、痛みも腫れも引いていた。もちろんその間、元々の歯医者に行くのはやめた。もうよかろう。
  そうして今週、治療に入る前に工程や最終的な処置についてかなり詳しく説明された。そもそも歯の根がどうしてそういう状態になったか、どういう作業をしていくのかというのを一通りの簡単なCGアニメにして見せてくれたのだが、それが非常にわかりやすい。以前のところでは口頭で簡単にしか説明されなかったので尚更である。なによりはっきりした病名を告げられたのも大きい。根尖病巣というらしい。前のところではそんな用語は一切出なかった。不思議なもので、名前がつくだけでどこか安心するところがある。
 これが結構が大事だそうで、抜歯の一歩手前と言っていいらしい。ぼんやりと無難な感じで状況を説明するより、はっきりそう言ってくれたほうがずっといい。でないと自分の状態がわからずとても不安である。当面は前のところでやっていたように根の洗浄と消毒を症状がなくなるまでやるのだが、最終的には露出している分の歯を削り取り、その部分だけ差し歯にする。大事には違いないが根自体は残るのでいいだろう。どうしてそうするかと言えば、神経がなくなると歯自体の強度が下がり、そこに半端な被せ物を繰り返すだけではもろくなる一方であること、被せ物だけではまたそこから菌が入って同じ症状になりかねないから、というらしい。それらは全て動きのあるCGと、医師とは別にデンタルカウンセラーからかなり丁寧に説明されたので、何事にも理解の遅いぼくにもすんなり理解できた。
 とは言え30代にして早くも一本差し歯になることになんとも思わないわけでもない。とにかくぼくは子どもの頃からよく虫歯になったものだが、これはもう体質的なものかもしれない。ものすごく歯磨きや飲食に気をつかっているわけでは全然ないが、おそらくそれだけでは防げないのではないかと思う。まあこれくらいで済んでよかったと思おう。そして歯医者を変えてよかった。
 とりあえずはその日からも、歯の中から根に向かって器具を入れて膿やら残留物やらを掻き出して洗浄したわけだが、結局前の歯医者ですでに3回はやったことをまたほとんど最初からというような感じで、その3回の間に特に改善した様子もなさそうであった。その日診察台のディスプレイで流れていたのは『崖の上のポニョ』であった。