ドラゴン退治

 世界の隅々が謎に包まれていた大昔、とある王国がパニックに陥っていた。西の山脈を訪れた探検隊が、戯れに洞窟を調べたところ、そこで眠っていた巨大なドラゴンを起こしてしまったのである。そいつはかつて、のちに今の王国がおさめることになる領土を荒廃させるほど大暴れしたが、強力な魔術で眠らされ、半永久的に冬眠状態に入っていたのである。ところが、王国の繁栄とともにその存在は忘れ去れ、役人たちの立派な仕事ぶりによって、封印に関する記録さえも失われてしまっていた。1000年ぶりに目覚めたドラゴンは、まるで昨日やりかけていたことでも続けるように、眠らされる前にやっていた仕事を再開したのだった。
 大勢の兵士たちがドラゴンに向かって差し向けられたが、当然ながら歯が立たない。集められるだけの投石機や、武装した象の戦車隊が送られたが、これも瞬く間に壊滅した。兵士が送り込まれるだけ、ドラゴンの足元には死体の山が増えた。夫を失った妻たちの怒りは凄まじく、毎日のように各地の役場が襲撃された。もちろんこれを取り締まる兵すらも残っておらず、毎晩のように各地の領主たちが城から逃げ出した。連日、村や町から荷車や馬車、人々の列が吐き出されていたが、やがて無人となった村はドラゴンが口から吐き出す、緑色に光る炎によって焼き払われた。ドラゴンによって焼かれた跡は不毛な地となった。
 もはや王国は崩壊寸前である。国王は自らの無力さを嘆いたが、まだ逃げ出さずに宮殿に残っていた大臣のひとりが、こう進言した。前回ドラゴンを封印するのに使われた魔術は、魔術師に代々受け継がれているはずである。そうでなくとも、その魔術を記した書物さえ残っていれば状況は打開できるのではないか。それを聞いた国王は自ら筆を取り、東のはずれの村に住んでいると言われている、国で唯一の魔術師に手紙を書き、それを伝令に託した。宮殿でいちばん速い馬を与えられた伝令は、東に向かって出発した。
 二日後、言われた村にたどり着いた伝令は、住民の半分以上がすでに避難してしまった村で、魔術師を探してまわったが、見つかったのは想像していたような豊かな白ヒゲをたくわえた老人などではなく、自分と変わらない年頃の青年であった。それでも他にそれらしい人物もいないので、伝令は青年を信じて国王から手紙を渡した。青年魔術師はもちろんそんなもの読まなくとも事情を察していた。彼はすでにドラゴンを再び封印する方法を探していたのだが、まだそれは見つからなかった。彼は別に封印に関わった魔術師の子孫でもなければ弟子筋でもなかったのだ。伝令は半ば失望したが、ともかく魔術師はドラゴン退治を了承しているのだから、それを国王に報告するため来た道を引き返して宮殿を目指した。
 さて、青年魔術師には実のところドラゴンの退治方法がまるで見当つかなかった。彼もかつては名の知れた魔術師に弟子入りしていた身だが、いろいろと失態をおかして破門されて久しいのである。そんなことだから、手元には見習いが読むような教本くらいしか残っておらず、伝説的なドラゴンを封印した呪文が載った貴重な本など彼の小さな本棚にはなかったのである。教本のほかは料理本と、自己肯定感を高めるという触れ込みの自己啓発書が数冊くらいであった。元師匠に助けを求めたほうがいいだろうかとも思ったが、そんなことをするくらいなら、今から単身丸腰でドラゴンの足元に行ったほうがマシに思えたし、元師匠も今頃は同じ問題に頭をひねっていることだろう。国王からの依頼があろうとなかろうと、近隣諸国の魔術師たちがすでにドラゴンの封印方法をカビ臭い本棚から探し出そうとしているはずである。そう考えれば、別に自分がなにかする必要はないのではないか。あとはプライドの問題に思えた。今頃伝令から報告を受けた国王が、自分に期待をかけているに違いない。
 一方、伝令は宮殿に戻る途中でドラゴンの襲撃に巻き込まれて死んでいた。国王のもとには魔術師がドラゴン退治を請け負ったという報告が届かないまま、宮殿はいよいよ恐慌状態に陥っていた。
 そうとは知らない青年魔術師は、自分が王国の最後の望みだと信じることにして、とりあえず持てる装備を全て持って、襲撃を終えたドラゴンが必ず休息のために帰っていく西の山脈に向かうことにした。眠りから覚めたとは言え、その身体はまだ呪われており、封印の地である洞窟に繋ぎ止められているのである。青年魔術師は、知り得る限りの魔術を総動員して、ドラゴンが留守中の洞窟に罠を張ることにした。
 その頃、魔術師社会の除け者である青年魔術師には知る由もなかったし、魔術に対して疎かった国王も思いつかなかったことだが、近隣諸国の著名な魔術師たちが密かに一同に介し、件の王国で暴れているドラゴンをなんとかしようという話し合いが持たれていた。当然、前回ドラゴンを封印したときに使われた魔術はすでに確認されており、あとはそれを改良してより強力にするだけであった。大魔術師たちは、青年魔術師同様に封印の地に向かって魔法をかけることにした。もちろん彼らは遠隔からそれができるので、西の山脈に向かう必要はなかったし、現地で青年魔術師がどんな罠を張ろうとしていても、それは丸切り無意味なので不都合なこともなかった。
 数日後、都合三頭の馬の命と引き換えに、青年魔術師は西の山脈に到着し、ドラゴンの洞窟に向かった。それはすぐに見つかり、彼は発光クリスタルを取り出して洞窟の中を進んだ。
 それと同じ日数をかけて、近隣諸国の偉大な魔術師たちは数人がかりで呪文を唱え続けていた。周囲を忙しく駆け回る弟子たちによって魔法陣が何度も書き直されたり書き足されたりし、複雑な魔術が進行していく。
 西の山脈では日が暮れ始めており、ドラゴンが一日の仕事を終えて、大きな翼をはばたかせて山に帰ってきた。ドラゴンは今日、ついに王国の心臓部、宮殿とそれを取り巻く首都要塞を壊滅させてきたのである。青年魔術師はすでに存在しない王国からの希望にこたえるため、洞窟を進んでいたが、やがて、大きな地響きとともに家主の帰還を知った。罠を張るには遅すぎた。
 同じ頃、ついに大魔術師たちの大掛かりな魔術を完成させた。それは遠く離れた西の山脈に向かって作用し、洞窟はおろか山脈そのものを紫色の炎で焼き尽くそうとした。もはやこれは封印の術ではない。魔術師たちはドラゴンを完全に滅ぼすつもりで、山とドラゴンとの絆を利用して呪いを完成させたのだ。
 突如現れた紫色の炎によって、暗い洞窟が昼間のように明るくなり、青年魔術師は洞窟の広大さと、ドラゴンの姿をはっきり目にした。しかし、そのときにはすでに青年魔術師もドラゴンも、紫色の炎になすすべもなく飲み込まれたのであった。痛みも苦痛もほとんどなかった。青年魔術師とドラゴンは、最後の瞬間に互いの瞳を見ていた。山脈にいた生き物と言えば、彼らだけであった。
 西の山脈は消え失せた。魔法陣の中心にいた大魔術師は、精神と肉体の全てを使い果たし、絶命した。それはかつて青年魔術師を破門した男であった。
数ヶ月もすると、領土のはずれや近隣諸国に避難していた人々が、荒廃と引き換えに平和を取り戻した故郷に戻ってきた。大魔術師たちの放った魔術は、ドラゴンの破滅的な炎とは異なり、かつて山脈があった場所に出来た広大な平野に、豊かな草原を生み出した。呪われた山脈がなくなった王国はここから復興するのである。人々は山脈もろともドラゴンを滅ぼした偉大な魔術師をたたえて、草原の中央、ちょうどドラゴンの洞窟があったのと同じ位置に、像を立てた。偉大な魔術師の弟子が同じ場所で眠っていることは誰も知らない。