20年前の夏休みのひとコマを書き留めるため、一切の記録がない状態でいろいろ思い返していたら、自分でも思いがけなかった場面が思い出されたりして驚いた。これほど遠い過去について頭の隅々まで漁ってみたのは初めてかもしれず、結構頭が疲れた。というか痛くなった。
脚色というようなことはほとんどしていなくて、むしろ書かないでおいた部分も多い。このことまで書いていたらさすがに脱線しすぎて戻ってこれなくなる、というようなところが多いし、個々人のプライバシーに関わりそうな部分はもちろん伏せている。要点だけははっきりしたように思う。
いろいろ思い返しながら書き出しているうちに、だんだん記憶に没入していく感覚があり、「今」が希薄になっていく気さえした。案外、思い出そうと頭を絞ってみるとそれくらい思い出せるということだ。
そこで感じたのは、自分はあの夏休みの感覚からだいぶ離れてしまったのではないかという不安である。月並みな言葉で言えば、遠くに来てしまったみたいなやつ。もちろん過去のどの地点からも離れてしまっているのだが、あの頃見聞きしたもの、感じていたこと、思い切り身を沈めていた匂いから、とても離れてしまったのではないかと思う。未だにフィギュアのブリスターパッケージを破くように開けるのも、SWを好きでいるのも、絵を描き続けているのも、思えばあの感覚を繋ぎとめておきたいからなのかもしれない。それによって、かろうじて自分の中になにかが残っていればいいのだが。しかし一方で、さっさと思い出は思い出として一線を引いてしまったほうがよい、とも思うし、実はすでにそうしているのかもしれない。いずれにせよ、今回いろいろ思い返してみて、あの夏休みは自分を作った主成分のひとつだとわかった。