Evangelion:1.0 You Are (Not) Alone.(2007)

『序』は基本的にTVシリーズのヤシマ作戦までを綺麗でかっこいいイマドキ(もう10年以上前になるが)の絵にして一本の映画にまとめた、というイメージだったから、どうしてもTVシリーズのストーリーから分岐し始める『破』から入った身としてはそんなに特筆するようなところがないように思っていたのだが、久しぶりに見返してみるとやはり印象も変わっていた。劇場版も含めた旧シリーズを通しで全部観たあとに、そのまま制作順の通りに『序』を見始めたら(Netflixとアマゾンプライムの合わせ技)、確かにこれは単なるリメイク(当時はリビルド=再構築と謳われていたそうだが)ではなく、散々論じられているように繰り返しの物語に見えなくもない。TV版の初回同様、使徒の襲来によって無人となった街の静寂の中で、主人公がぽつねんと立ち尽くしているところから始まるため、まるでその場でシンジが目覚めたかのような印象を受ける。ゲームでスタート地点に戻されたかのような、あるいはもう一度同じ夢を見返しているような感覚である。

あとTV版と続けて観て気づいたところとしては、人々が描かれているところ。メインキャラクターたち以外にも人がいっぱい暮らしているという描写はなにも『シン』で初めて加えられたものではなく、『序』の時点からわかりやすいほど追加されている。ヤシマ作戦にあたって全国で停電を知らせるくだりは、TV版ではあちこち街が映されるだけだが、ここにかなり市民たちの姿が描き加えられていて、街のディテールも細かくなっているため単なる背景よりも前に出てきているような印象だった。ヤシマ作戦では使徒に向けて最初に放った陽電子砲が外れてしまい、使徒から撃たれた光線によって被害も被るのだが、このとき陽電子砲を再充填したり設備を復旧するために大勢の作業員が大急ぎでことにあたる様子がほんの一瞬挿入される。その前にもおびただしい数の車両が現場に向かって列をつくって進んだりしていて(その車列の間をミサトとリツコが話しながら渡る一瞬がまたいい)、TV版ではあれよあれよと進む作戦の準備が、当たり前だが大勢の人間がそれぞれの仕事をして実現させているという背景が、今回ははっきりと描かれている。そのためシンジの肩にかかっているものの重みも増して見えるが、それは重圧というだけでなく、いかにみんなが彼に希望を託しいるかというのがより如実に伝わってくるのだ。TV版にはそのような描写が少なかったわけだが(全くなかったわけではない)、それはそういったディテールへの意識が欠けていたのでは決してなく、単に時間的制約のためだろうと思う。『序』の映像からは本当はこうしたかったのかというのが感じ取れ、だからこそやっぱりこれは主人公とヒロインの間だけで完結した世界のお話などではないと、ぼくは思うわけである。