地獄から抜ける

 大好きで尊敬している人たちが貶められてしまうお馴染みのツイッター地獄には、とても悲しくなる。ちょっとしたことも誤解されたまま広められてしまい、文脈を理解しない通りすがりによってさらにややこしくなる。今更言うことでもないが、やはりあれは独白集であってコミュニケーションに向いているものではないのだろう。確かに連続投稿で書き続けることはできるかもしれないが、ひとつひとつはどうしたってケチくさい140字で、それは単体で広められて前後の文脈がわからない通りすがりの目に留まる恐れがある。そう思うとあそこで起こる揉め事はほとんど事故のようなものとも言えるのかもしれないが、それはどんどん連鎖して収拾がつかなくなる。だから地獄なのだ。昔で言うフォーラムなら熱心な管理者がいて明確なルールがあったが、SNSはそれとは少し違う。フォーラムがある程度閉ざされた建物の中の、文字通り会議室であるなら、ツイッターとはあらゆる人が出歩いている往来のようなもので、そのひとりひとりの思考の断片が流れ続けて、他のと緩衝一切なしでぶつかり合っている。ぼくのようなのはおっかなくて仕方がない。今のところ、どれだけ寝言めいたことを書いたとしてもぼく自身は大して嫌な目には合っていない。しかし、知っているひとが突如渦中に置かれてしまうのにはもはや耐えられそうにない。あんなもので消耗するのもいい加減うんざりなので、あまり見ないようにしたい。自分自身の使い方そのものは、だいたい今くらいでいいだろう。もはや絵とアップと告知、それから毒にも薬にもならない雑な思いつきしか書いていない。最後のもぐっと減らしていきたい。なぜなら140字でものを考えたくないから。ブログはこうして思っていることを、ひと通り気が済むところまで書けるし、いい意味で拡散力がないのもいい。誰かが読む前提だが、いたずらに人目には触れない、そんな媒体がやはり自分には向いている。ぼくにとってブログは地獄に垂れてきた蜘蛛の糸だ。