いざというとき

 先週末に妻が盲腸で救急搬送されて緊急オペ、入院となり、昨日退院となった。人生で初めて救急車を呼んだわけだが、苦しむ妻を前にとっさに判断できたわけでは全然ない。それどころかなんだか怖くて躊躇してしまった。このことは一生悔やむと思う。救急車があっという間にやってきて、すんなり病院も決まってお医者も見つかり、夜のうちに手術も済んで大事には至らなかったとしても、やっぱり自分を情けなく思う。覚えておかなければいけない。とは言え、一度やってみるとどういうふうにことが運ぶのかなんとなくわかったので、次回は(いや次回なんかないことを願うが)なにかあってもすぐに対応したい。でもなにが起こるかわからないのが不安である。いざ、というときに自分はなにができるのかと考えてみると、とても自分が頼りなく思える。もし心臓マッサージなんてしなければならないとき、できるのだろうか?自動車教習所で習って以来このことは結構怖い。今考えてもしょうがないことだけれど。しかしそのときもまた考えている余裕はないのだろう。考えるばかりでなにも行動できないのをどうにかしたく、また考えてしまう。

 着替えを持って行ったり、退院を迎えに行ったりで実に3ヶ月ぶりに電車に乗った。電車の中の広告はなんとなく少ないような印象。座席はひとりぶん空けてかけることになったらしい。高校は電車通学だったから、電車にこれだけ長い期間乗っていないというのは、中学以来ではないか。そう考えてなんだか妙な気分だが、別に久しぶりに乗ったからといって感慨はなかった。犬の散歩で毎日外に出ているので、青空は目にしているしだんだん強くなる日差しも浴びているのだが、高架上を走る電車からの景色はまた一段と明るくて、無数の瓦屋根がキラキラ反射しているのが、なぜか強烈な印象。人間がどんな暮らしをしていても空にはなんの関係もない。ただただピーカンだった。