あまりの日々の慌ただしさで忘れそうになっていたが、そういえばこの4月で専門学校に入ってからちょうど10年だった。実家を離れて10年ということになる。早くも記憶が薄れ始めているのだが(不思議と高校時代のほうが鮮明に浮き上がってきたりする)、とにかく天気が悪くて寒い日の多い4月だった気がする。故郷を離れて心細い、などという眠いことは一切思わなかったが、それでもとにかく寒かった。どんよりした天気と、接着剤やら定着液やら、塗料の臭いといったものが学校の最初のイメージである。
前期の授業はとにかく基礎演習の詰め込みで(2年制だったので余計に駆け足である)それまでの学校の宿題とは次元の違う作業量と時間との勝負だったけれど、それでも基本的には描いたり作ったりすることなので、その大変さが楽しくもあった。技術的には未熟極まりなかったが、それまでの人生これだけはなんとか人並みより少しは打ち込める、という分野なので、やめたくなるほど辛くはない。クラスで絵がうまい子、というのが大勢国中(?)から集まっているというだけあってどうしてもショックを受けることも少なくなかったが、だからやる気にもなるというものだ。しばらくして自分の描きたいものがだんだん見えてくると、あまりそのあたりは気にならなくなる。こうして思い返すと、課題量が多かった前期は非常に濃密で、余計な心配をしている暇もなかったし、都会に出て初めて見聞きするものの多さ、知り合うひとの数もあって、楽しかったと思う。要するに調子に乗っていた。
学校に通っている頃よりも、実際に仕事を始めてからのほうが覚えることも、技術的に身に付くことも多いのだが(嫌でも身に付く)、学校の基礎的な準備がなければそれもすぐには成り立たなかったことだろう。正直言ってそれほどレベルの高いところではなかったし、感動を覚えるのは最初の方だけで、だんだん退屈するようになったというのが本当のところである。たった2年しかないモラトリアムの中で、いかにその後放り出される世界でやっていくかということばかり考えて焦っていたせいもあって、後半の方はもう落ち着きや余裕がなくなっていた。あそこで少し落ち着いて、前のめりになりすぎず、描くときは描いて遊ぶときは遊ぶ、みたいな余裕が持てればもう少しは楽しい時間が過ごせたかもしれないが、それも今だから言えることであって、どこかに勤める能力もなければこれといって財力やバックボーンもあるわけではない、ただ描くことくらいはギリギリなんとかできる、というような後のない(とそのときは思っている)状況では焦るのも無理はないだろう。そういうわけでだんだん窮屈さを感じるようになった学校だが、通っていなければいなかったでわからなかったこと、見えてこなかったものも多くあったと思う。いずれにせよ基礎的なものは大切だ。
学校とは技術の準備をするところであって、決して完成させるようなところではないのだろう。ぼくがいけなかったのは、学校にいる間に完成に近づこうと焦ったところかな。できるわけないのにね。10年経ってもなにも完成していない。少しお金になるようになった程度だ。学校にいる間にもう少し落ち着いて、できる範囲でものを描く、というのをやっておけばなあと思うこともあるのだが、それもまた今だから思いつくことである。無駄遣いした時間なんてものはないと信じたいところだ。