ばあば

 昨日、祖母が94歳で亡くなった。ソボと発音するのもオバアチャンと言うのもどうもしっくりこず、少々気味が悪く聞こえるかもしれないが30歳を手前にしながらも「ばあば」と呼ぶのが未だにしっくりくる。

 実家を離れる際に一応挨拶をしたが、その時点でもう孫のことを娘が連れてきた男などと認識するくらいで、その後10年の間に(実家を出て10年経つというのが驚く)すっかり変わってしまい、ぼくが最後にばあばと言葉を交わしたのは随分昔のような気がするが、それでも本当にいなくなってしまったというのには重みがある。お母さんと電話で話すときにも、どれだけ形式的でもそれを言うことをできるだけ忘れないようにしていた「おばあちゃんは?(元気?)」という挨拶はもはや必要でなくなってしまったのだ。

 多少迷ったものの、結局その顔を一目見てお見送りをするための帰郷は、しないことにした。ご周知のようにこのような時局なので、東京の端から房総まで移動すること、もっと言えば家から高速バス乗り場のある新宿までの移動が躊躇われたのだ。ついに一ヶ月以上都心に出ていないが、今になってその方面に出ていくのはちょっと慎重にならざるを得ない。理由が理由なので、そのために出かけるのはやむを得ないかもしれないが、理由がなんであれ人が長距離を移動して、また戻ってくること自体は変わらないとも言える。このことで、ぼくが現状をどれだけ重く見て警戒しているかは伝わるかと思う。それでも、多少がんばってでも行った方がいいのではないかと最後まで迷ったのだが、両親も事情と懸念は十分にわかってくれ、もとより無理しなくてよいということだったので、もしかしたら一生悔やみとして残るかもしれないが、諦めることにした。

 そういうわけなので、まだぼくの中ではこのことは両親から聞いた情報でしかなく、目の当たりにはしていないのだが、そのせいか余計にいろいろと思い出している。中でもふと思ったのは、元々おもちゃを買ってもらう条件として聞いていた「髪は染めない」「外国人に道を尋ねられたら決して知らんぷりはしない」という言いつけを、なんだかんだ今もまだ守っているということだ。髪は今日まで一度も染めることはなかった。後者については田舎で過ごす子ども時代にはなんのこっちゃという感じだったが、都会に出てからは実践しているし(せざるを得ない)、なぜばあばがそれについては特に強く言って聞かせてきたのか、今ではよくわかる。まあ大したことではない。どちらもフツーに生きていれば守れる言いつけである。これからもばあばサンタとの契約を守り、自分でおもちゃを買うのだろう。ばあば、おやすみなさい。