濃い鉛筆で文章

 最近またツイートすることが増えてしまって、ブログを書くというのが疎かになっていた。せっかくある程度独立した空間が手に入ったのだから、あまり気にせずのびのびと書いていきたいけれど、ちょっとした思いつきをちょくちょくツイートしていくといつの間にかそれで溜まっていた考えが解消してしまう。絵と同じで文章も習慣で書かないと鈍ってくるらしく、最近どうも考えがうまくまとまらずに困る。いろいろと思いつくのであれば書き出していけばいいんだけど、なんとなくそれも億劫。

 去年一年を通してリング式のノートはちょっと書きづらいことがわかった。開きやすさはあるかもしれないが、ページの真ん中にリングがあるせいで左側のページを書く際に手が当たって非常に気になる。切り離せるという利点もあるが、その分切り離したくないページも間違ってちぎれてしまいそうな心配もある。というわけで今年はリングをやめて、普通に綴じているノートにしようと思う。これまでスケジュールに加えある程度の量のフリーページのついた手帳を一年通して使っていたが、なかなかいいのが見当たらないのと、結局フリーページを使い切らないうちにスケジュール部分が終わってしまうというもったいない結果が多いので、これらは別々にしていいんじゃないかと思っている。予定だけの薄めの手帳と、時期関係なく使い続けられるノートなり落書き帳なりをセットで持っていればいいわけだ。いずれも綺麗に使おうなどというのはとうに考えていない。ひとに見せる前提の、かわいらしく繊細で綺麗な、ところどころ素敵なスクラップなど貼り付けてあるノートは、ぼくの用途に適していないし、ああいう作品としてのノートを作ることにあまり興味がない。ノートは予定や仕事、思考の整理に使うものなので、体裁を気にしていると効果が出なくなってしまう。意識せずとも、そういう目的でありながら綺麗なノートが作れるひとはどんどんやればいいと思う。体裁を気にせず仕事に使っていたノートが、結果的に創造のプロセスを表したものとして自然に価値を持てれば、ぼくにはそのほうがいいと思う。

 筆圧が強めですぐ手がくたびれるので、それも直したい。なので最近は書き物を濃い鉛筆に変えている。ペンや万年筆もいいけど、どうしても硬さを感じてしまうし、紙によってインクの乗りが悪かったりするとストレスになる。このこともノートを選ぶときにネックになっていたことだが、基本的に鉛筆を使うようにすれば紙なんてなんでもよくなる。万年筆インクの乗りの悪さで使うのをやめていたモレスキンも、こうなるとまた手を出してもいいかもしれない。初めて書き物の習慣を覚えたのはモレスキンだし、なんだかんだ大きさや使い勝手が結構いい。

 鉛筆は削る手間はあるかもしれないが、とにかく先が柔らかくて手が楽だ。繊細な誌面にはならないかもしれないが、すでに書いたように別に汚くなってもいい。文字も落書きも同じ調子で書けるのがいいところだ。落書きの場合、やはり鉛筆のほうが線に表情が出て、アイデアが膨らむこともある。もちろんできるだけ濃い芯を使う。今は4Bを使っているが、濃ければ濃いだけ力を入れずに書けると思う。ただあんまり濃いと手や指が真っ黒になるし、文章を書く際に消しゴムなども入れづらいので、まあ4Bくらいがちょうどいいと思う。4B以上なんてデッサン画でしか使わなかったが、文章を書くときにこんなに楽だとは思わなかった。