『スター・ウォーズ』シークエル三部作の主役のひとり、フィンに期待していたこと。思えば『フォースの覚醒』で彼が登場したとき、ぼくたちはシリーズで初めて悪の手先であるはずのストームトルーパーが主人公になる瞬間を目撃したはずだった。トルーパーは悪者というだけでなく、取るに足らない存在の代表でもある。味方の死を目の当たりにして自分の置かれた状況に恐怖するトルーパーに焦点が当てられたあの瞬間、確かに未来を感じた。これが新しいSWの幕開けなのだと。その後命令に背いて民間人に武器を向けられなかったこのトルーパーは、捕虜のポー・ダメロンを助け出して彼と脱走を図り、FN-2187という識別番号を捨ててフィンという名のひとりの個人となる。
帝国に代わって登場したファースト・オーダーは、各地から幼いうちに誘拐してきた子どもたちを洗脳教育して兵士に仕立て上げていたのだが、フィンも例外ではない。なによりフィンというキャラクターは、彼が特別ではないところがいい。スカイウォーカーの末裔でありながら悪に堕ちたカイロ・レンや、強いフォースを内に秘めながらもまだ何者かわからないレイといった二大キャラクターへの対比でもあり、観客が同じ目線で移入できる主人公なのである。
そんなフィンが目覚めたのなら、ほかのトルーパーにもその可能性があるのではないか、というのがぼくの一番思うところである。元々トルーパーだったフィンには彼らの行動や思考パターンがよくわかるはずで、それは同時に彼らの弱さや苦しさも理解できるということ。それなら、彼には行く先々で敵として遭遇するかつての同胞を諭すということもできたのではないだろうか。しかし、実際の映画の中では、なんの躊躇いもなくかつて自分が着ていたのと同じ装甲服にライトセイバーを突き刺したり、ブラスターを撃ちまくっているだけでそういう機会は与えられなかった。
フィンには単にファースト・オーダーを倒すだけでなく、最終的にはまだそこに囚われているトルーパーたちを救って欲しいと思っていた。それこそがフィンというキャラクターが現れた理由だとすら思っており、『スカイウォーカーの夜明け』で描かれるであろう大団円にはそういうものも期待していたのだ。
結果から言って半分は当たっていたような気がする。フィン以外にもファースト・オーダーから脱走したトルーパーたちがいたことが明らかになるのだ。それもなんと中隊全員が民間人への攻撃を拒否したのだという。それが自分だけではなかったのだと知ったフィンは、脱走部隊のひとりであるジェナに語る。自分が突然正しさに目覚めたのは本能的なもので、自分ではそれをフォースだと信じていると。このフォース観は、とても良いと思った。理屈では説明できないが心に響いてくるなにか、直感的に感じるなにか。ジェダイでなくとも誰もがそういうものを持っているのだ(一応付け加えると、ぼくは個体のフォース感知能力に影響する共生微生物ミディ=クロリアンというルーカスの設定についてそれほど抵抗はない。ミディ=クロリアンは生き物全てが体内に持っているもので、確かにその数が多ければ多いほどフォースも強くなるという程度の差はあるが、生き物が皆フォースと結びついているということで、別にオリジナル三部作での「理力」のイメージと矛盾するほどではないと思う)。
とは言えトルーパーへの言及はそこまでだった。ジェナをはじめ元トルーパーたちもレジスタンスの最終決戦に参加するが、ファースト・オーダーのトルーパーはあくまで敵として登場するまで。フィン以外にも離反したトルーパーがいたという事実は、より一層ほかのトルーパーたちも目覚める可能性があるということへの伏線になると思ったが、彼らにそのチャンスは与えられなかった。
「銀河中で人々が立ち上がった」というセリフがあったが、どうせならそれを映像で見せて欲しいと思った。思い出したかのようにベスピンや森の月エンドア、今三部作の出発点となったジャクーが映され、その全ての空でスター・デストロイヤーが同じように墜落していく様子が描かれるだけだった。もちろんこれは『ジェダイの帰還』での「帝国敗北に湧く銀河各地の様子」へのオマージュだろうけれど、それにしてはなにか物足りない。イウォークの顔がぼくの思うイウォークじゃないというのは置いておいて、「人々が立ち上がった」という言葉に対応するような描写がないのだ。指揮系統が乱れて混乱する各地のトルーパーたちを集まった市民たちが圧倒するとか、それこそファースト・オーダーの間違いに気づいてフィン同様に目覚めたトルーパーたちが一斉に武器を捨てるといったシーンがあれば、『シスの復讐』での「銀河中でジェダイが一斉に死ぬシーン(トルーパーに殺される)」への対比となったのではないかと思う。トルーパーたちがヘルメットを脱ぐと、そこにはまだ幼ささえ残っている若者たちが顔を見せ、皆もフィンとなんら変わらない「さらわれてきた子どもたち」だったことがわかるというわけだ。
そこでフィンやジェナのバックグラウンドが活きてくるし、そこに踏み出してこそ新しい神話だったのではないかとも思う。ましてや今回は皇帝に仕える赤いシス・トルーパーという兵士たちが登場したが、シスの名を冠するこの同情の余地のなさそうな兵士たちに対して、白い普通のトルーパーたちが相対的に人間的に描かれるというような展開を想像したひとも少なくないと思う。繰り返すがトルーパーたちも元は誘拐されてきた子どもたち、選択の余地がなく兵士になった子どもたちなのだ。ところが彼らは今まで通りのストームトルーパー像に忠実で、フィンも彼らを次々に撃ち倒していった。最後には彼らも救われなければいけなかったような気がしてならない。結局のところフィンが目覚めたのは彼が特別で、ほかのトルーパーはおバカなまま、というような印象で終わってしまったのが、ちょっと残念である。とても良いキャラクターで、特にEP9のフィンはヴィジュアル的にこれまでで一番かっこよかっただけにもったいなさを感じる。