日常

 かれこれ一ヶ月以上都心に出ていないことになる。仕事をするにあたり打ち合わせはひとまず遠慮させてもらい、映画の試写にも足を運んでいない。一ヶ月くらい前なら非常に慎重であるという印象を持たれたかもしれないが(実際に打ち合わせなどをお断りした場合、少なからず先方との温度差を感じることはあった)、今では当たり前の姿勢になっているのではないかと思う。というかそう願うばかりである。自分ひとりが病気になるのはまだいいが(それも嫌だけど)、このような場合はそれだけでは済まない。ましてや家に奥さんと、それからこの世に生まれてやっと2年経とうとしている子どもがいることを思えば、ある程度の交際や移動の自由は自分で制限しなければならないと思っている。

 祖母にお別れの挨拶をするための帰省を断念したことは昨日書いたけれど、結局それはぼくの個人的な判断に過ぎないし、まさかそれを引き合いにこの週末出かけるひとにとやかく言える筋合いはないかもしれないが、それでも、どうか家にいてほしいと願うばかりである。

 このように不安な状況では、いつも以上に日々の情勢にストレスを感じてしまう。早く日常が戻ればいい、とぼくも思いたいところだが、しかしどうもこれは、日常と呼べるような状態が戻ったとしても、もはや元の世界には戻らないのではないかという気がする。都心に出るのをきっぱりやめた頃から感じていたことだが、大地震を境にものごとがすっかり変わってしまったように、今回もここを通り過ぎたあとにやってくる日常は、だいぶ様変わりしているのではないかと思う。少なくとも、ぼく自身には心境の変化があるというか、物事への視線が少し変わりつつあるような気がする。特異なテンションが引き起こしている気のせいである可能性もあるが。

 幸いにも今のところやることはあるし、遠くまで行かなくとも家の周囲だけで生活するには足りている。この状態があとどのくらい続くのかは全くわからないが(どうして5月や夏頃には収まると思えようか)、いずれにせよこれまで通りの日常をある程度は諦めなければならなくなると思う。大したことは考えられないが、あれこれとシステムを変えてやり過ごそう。