26 :「寒い国から帰ってきたスパイ」
(ジョン・ル・カレ著/宇野利康訳/ハヤカワ文庫)

 ペルシャ猫を抱いた悪の首領率いる秘密結社ではなく、対立する外国を相手にした本物の諜報戦。主人公は本当に東側に寝返るつもりなのか、それともこれは作戦なのか、もしや作戦と見せかけて本当は亡命するつもりなのか……と本当に最後まで主人公の思惑や作戦の全容が見えず、真相がわからない。しかも結末はそれらの想定の範囲を大きく越えて、読者はあっと驚かされる。誰が騙し騙されているのか最後までわからないこの感じが、諜報とはどういうものかを表しているように感じられる。 

 「ティンカー、テイラー〜」同様に主人公が冴えない中年のオヤジというのがまた良い。風采が上がらないだけではなく暮らしぶりも冴えない。タキシードでカジノに繰り出すなんてとんでもない、サイズの合わないトレンチコートでロンドンの大雨にやられてすぶ濡れになっちゃうんだから。その現実的な役人の風貌で遂行する任務とは、地道に書類を調べたりこそこそと飛行機に乗ったり尋問したりされたりという、本当にロンドンの曇天そのものみたいな仕事ばかり。昔「スパイキッズ」を観て夢中になっていたぼくに祖母は言ったっけ、「本当のスパイなんて嫌な仕事よ」と。祖母が本物のスパイ事情に通じているのかどうかはさておき、ジョン・ル・カレのスパイ小説はその祖母の言葉を裏付けるものだった。現実のスパイは地味でこそこそしていて、なにより堅実なのである。 

 克明な描写がありありと光景を映し出してくれるところも読んでいて心地よいと思う。この時代のロンドンでの生活も垣間見えるし、東ドイツの様子なんかもどこまで忠実かは置いておいてもとても興味深い(作者はMI6に所属して西ドイツで活動していた経歴の持ち主なので、ハリウッド的な架空感とは全然違って、そこそこリアルな描き方なのではないかなと、ぼくは思う)。 

(2016年4月8日)